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甲子園4度出場も野球が「楽しくなかった」 元巨人・佐藤洋監督の原点にある苦い記憶

今春の選抜高校野球大会出場が有力視されている東北高。昨年8月からチームを率いる佐藤洋監督(60歳)は、東北高時代に春夏計4回甲子園に出場し、プロ野球・巨人で10年間プレーした輝かしい経歴を持つ。たが佐藤は、技術指導や成功体験を伝えることは重要視していない。その理由と、指導者としての原点を探る。(取材・文=川浪 康太郎)

昨年8月から東北高を率いる佐藤洋監督【写真:川浪康太郎】
昨年8月から東北高を率いる佐藤洋監督【写真:川浪康太郎】

東北高校野球部・佐藤洋監督インタビュー第2回

 今春の選抜高校野球大会出場が有力視されている東北高。昨年8月からチームを率いる佐藤洋監督(60歳)は、東北高時代に春夏計4回甲子園に出場し、プロ野球・巨人で10年間プレーした輝かしい経歴を持つ。だが佐藤は、技術指導や成功体験を伝えることは重要視していない。その理由と、指導者としての原点を探る。(取材・文=川浪 康太郎)

 ◇ ◇ ◇

 宮城県石巻市出身の佐藤が野球を始めたのは、小学3、4年の頃。チームには所属せず、友人と公園で遊ぶ程度だったという。中学では軟式野球部に入り、3年時には県大会で準優勝した。大人から指導を受けるというよりは、子どもだけで練習方法を考えるような環境で、「そんなに一生懸命ではなかった」と振り返る。

 ただ楽しかった野球がそうではなくなったのは、東北高に入ってからだった。練習中は水を飲むことさえ許されず、その時間は放課後から深夜まで続く。休みは正月とお盆に2日ほどあるだけで、残りの約360日は野球漬けの毎日。「軍隊みたいで、苦しい練習を乗り越えた者だけが甲子園に出るという時代だった」と回顧するように、当時の高校野球界では当たり前のことだ。とはいえ、「辞めたくて、辞めたくて、毎日嫌で。また今日も練習か、また今日も怒られるなって……本当に楽しくなかったですね」というのが今になって溢れる本音だ。

 文字通り苦しい練習を乗り越え、甲子園の舞台を4回も経験。高いレベルで野球をするなかで、「プロ野球選手になりたい」との思いも膨らんできていた。その目標に大きく近づいたのは、社会人野球の電電東北(現・NTT東北マークス)でプレーしていた時のことだ。電電東北時代は体重が増えたことで長打力が向上。小技を駆使する2番打者だった高校時代から一転、クリーンアップを打つような強打者へと変貌した。

 この頃は全体練習の時間が減り、自主練習に費やす時間が増加。「自分の意志でやって、結果が出る」ことの喜びを知り、小中学生の頃の楽しかった野球を思い出した。

「子どもの頃は大人がいないなか、勝手にルールを覚えて暗くなるまで野球をしていた。野球をするのに大人の力はいらないんじゃないか」

 苦しかった野球も楽しかった野球も財産だが、今の子どもたちに何よりも伝えたいのは、野球の楽しさだ。

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