「親の勝利至上主義」で全国大会廃止 今もなお、子どもに選択肢のないスポーツの課題
日本代表の“金メダル至上主義”との違い
どんどん速く泳げるようになっていった小学3年生のある日、「選手コース」の練習に呼ばれた。一気に練習量が増加。「面白くない。水泳は嫌だ」と親に伝えて辞めた。親に止められることはなく、「投げる」「人と組むこと」が楽しかった柔道に専念。「僕は子どもながらに面白い、面白くないという判断ができていた」と振り返る。
全日本選手権に5度出場した父は、自身の師でもあった。しかし、柔道を強要されたことはない。柔道も水泳も親の存在がきっかけで始めたが、続けたのは自らの意思だった。進路選択でも同じ。両親は天理大出身だが、高校は東海大相模、大学も東海大とライバル校を自ら選び、実績を残していった。
「両親は周りからいろいろ言われたみたいですが、僕は『親は親』という考えだったので、自分が行きたいところに行きました。子どもがどう思っているのか、大人が見極めてあげることが大事。逆に自分で選択しないと、後々きつくなると思います」
心から勝利を目指したい子には存分にやらせてあげればいい。勝利に徹することで価値が生まれることだってある。
「勝負をしていく中で勝ち負けが思い出になるし、負けたことによって次は勝ちたいと思う。それが競技の本質なのかなと。隣の人より早く泳ぎたいと思うのも、それは競技を愛するということなのだと思います。大会を廃止する今回の決断が一概に凄くいいことだとは思いません。でも、問題が起きている以上は廃止せざるを得ない状況なのだと思います」
今、勝利至上主義の押し付けが否定されるのは、相手がそれを望んでいない子どもだから。五輪に出るほどのトップ層は別だ。羽賀はニッポン柔道にある“金メダル至上主義”の価値観を大切にする。
「柔道は日本の国技で、海外でも何十万人がやっている。審判も日本語を発する。それって凄いこと。その中で日本を代表して戦うことは、凄い価値があると思うんです。五輪も人によって価値が違う。ある冬季種目の選手は、『五輪よりも年間のツアータイトルが欲しい』と公言していました。五輪の価値はそれくらい選手と競技によってそれぞれ。でも、(トップ層の)柔道選手はそこに価値を感じて燃えている。全選手が五輪を夢見て競技をやっています」
試合直後のインタビューでも、銀メダルで喜ぶ選手は少ない印象だ。2番、3番でも、代表に選ばれただけでも凄いこと。そんな声が上がっても、羽賀は日本の柔道家として譲れないものがあるという。
「そのラインを落とすのは簡単だと思います。金メダル以外に価値がないとは言えませんが、全員が口を揃えて金メダルを目指す、金メダル以外は納得しないという姿勢は、日本柔道の強さを維持できている要因だと僕は思います」