“女子よりも遅い弱小陸上部”が箱根常連校に 自腹で全国回り勧誘、アパート共同生活「自信得るまで20年…」
70回大会で初出場も成績安定せず…指導に自信を得るまでにかかった20年
22歳でコーチに就任し、順大の練習メソッドを取り入れて強化しようとした。だが、指導して数か月後には、それがフィットしないと感じたという。
――練習のレベルが高すぎたのでしょうか。
「私が高校から順大に進んだ時、澤木先生にあれこれ言われて、『なんのこっちゃ』とポカーンとしていたのと同じで、サークルレベルで走っていた子たちには理解できなかったのでやめました。それから高校時代の練習を取り入れ、その内容を逐一説明して、丁寧に細かく指導していくようにしました」
――その指導が実を結んだのはいつ頃だったのですか。
「うちは、70回大会の箱根駅伝が初出場だったのですが、なかなか成績が安定せず、シードが取れないのが続いていたんです。神奈川大が68回大会で18年ぶりに箱根に出場した時、年下なのですが、監督だった大後(栄治)さんに指導についていろいろ話を聞いたんです。そのやり方は私のやり方でもあったので、これでいいのだと自信を得ることができました。そうして自分の指導に自信が持てるようになるには、20年ぐらいかかりました」
2008年の第84回大会では総合3位になり、2015年から19年まで5年連続でシード権を獲得し、中央学院大の名前を全国区にした。シードを獲れるようになると当然、欲が出てくる。勝ちたいと思うのは勝負師の本能とも言えるものだが、それを指導者が前面に押し出すと冷静に判断できなくなることがある。
――監督は、選手を勝たせたいよりも自分が勝ちたいと思う意識が強く出てしまうことがありますか。
「それは、もうしょっちゅうあります。でも、それをしてはいけないですね。指導者が選手よりも勝ちたいと勝利を求めてしまうと絶対に失敗します。私も若い頃は、若気の至りで、そういう考えになってしまったことがあります。今だと、なんて馬鹿なことをしたんだろうなって思いますね」
――指導者自身が勝ちたいと強く思うと具体的に、どんなことが起こるのですか。
「自分の指導について来れない学生を排除してしまいます。できないと、『なぜできないんだ』という言い方しかできなくなります。そうして一部のできる選手しか見なくなるので、それは指導者としても教育者としても失格でしょう」
――指導者の評価については、どう考えていますか。
「私は、優勝することがすべてだとは思っていません。私の指導者の評価、理想は常に卒業生たちが集まってきてくれることです。卒業したら一切、学校に目を向けないというのは寂しいですよね。そうならないように学生にしっかりとコミットして、濃い4年間を一緒に過ごしていく。私は、指導者というよりも教育者に近いかもしれません。スタートが教育だったので、教え子たちが来てくれるのはすごくうれしいですよ」
(第2回へ続く)
■川崎 勇二 / Yuji Kawasaki
1962年7月18日、広島市生まれ。報徳学園高(兵庫)で全国高校駅伝に出場するなど活躍し、順大では3年生だった1984年箱根駅伝に出場(7区区間9位)。卒業後の1985年に中央学院大の常勤助手になり、駅伝部コーチに。1992年に監督就任。1994年に箱根駅伝初出場を果たす。2003年からの18年連続を含め、今回で計24度目の出場。2015年から5年連続シード権を獲得し、最高成績は2008年の3位。現在は法学部教授として教鞭を執る。
(佐藤 俊 / Shun Sato)