原辰徳監督から受けた「人としての教育」 巨人で裏方を経験、荻原満が学生に伝える一流の教え
原監督と過ごした日々、散歩やサウナでも野球談議
現役引退後は11年間、打撃投手を務めた。「抑えてなんぼの世界から、打たれてなんぼの世界になる」。当初は選手に打たせることを意識するあまり、思うようにストライクが入らなかった。暴投も増え悩んでいると、当時現役だった原辰徳から「(球が)変化しようと何しようと、ストライクを打てなかったら俺らの責任だ。加減せずに思い切り、勝負するつもりで投げてこい」と発破をかけられた。その言葉を胸に刻んでからは自在にストライクを投げられるようになり、毎日最低120球、多い日は200球の「打たせる」投球を続けた。
打撃投手の後はマネージャーに就任し、原監督の第2次政権が発足した2006年からは監督付のマネージャーを務めた。常に行動をともにし、挨拶や身だしなみを含めた「人としての教育を受けた」。その教えを参考に、自らが指導者になってからは選手たちに「学生野球をしっかりやろう。私生活がだらしないやつは野球もだらしない」と技術面以外の大切なことも伝えている。
2人で散歩をし、サウナで野球談議を交わすことも。ある時、原が「俺はファームから上がってきた選手はすぐに使う。調子が良いから上がってきているんだ」と言うのを聞いた。荻原が「何回チャンスを与えるか」尋ねると、「3回」との答えが返ってきた。荻原自身、東北工業大では投手に練習試合などで必ず3回はチャンスを与えるようにしている。原監督と過ごした時間は、間違いなく財産となっている。
巨人で裏方をしていた頃から「自分の持っている技術や教わったことを伝えたい」と指導者になる未来を思い描いていたため、在籍中は原だけでなく、周囲にいる一流の指導者と積極的にコミュニケーションを図り、時には質問をぶつけた。投手コーチのみならず打撃コーチや守備走塁コーチなど、あらゆる分野の指導者の意見を聞いていたこともあり、現在は投手を中心に指導しながらもチーム全体を俯瞰で見ることができている。
「『あの人はピッチャーのことしか分からないだろう』と思われるかもしれないけど、野球のことは全部知っている」
荻原はそう断言する。投手の気持ち、野手の気持ち、打撃投手の大切さ、マネージャーの苦労……。日本最高峰の舞台で見てきたからこそ、分かることがある。指導者・荻原満は自信と信念を持って、選手を、チームを育て上げる。(文中敬称略)
(川浪 康太郎 / Kotaro Kawanami)