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大学駅伝の名門「中央大が終わってしまう」 藤原正和監督、就任1年目に大改革の意図

どんな批判を受けても「やり遂げる覚悟があった」

――学生たちはその言葉を素直に聞いていたのですか。

「素直に聞いていた子もいますし、反発心を持って、でも何も言ってこない子もいました。まだ、意見を出してきた彼のほうが良かったですし、予選会も頑張ってくれた。その頃は寮に住み込んでいたのですが、夜中に学生が来て、『ちょっと話を聞いてほしいんですけど』というのも多々ありました。やっぱり上手くいっていないチームだと、選手もストレスを感じて負の感情を持ってしまう。それが1年間続いたので、本当にしんどかった。今もう1回、あの1年目をやれと言われても絶対に無理ですね」

――当時の藤原監督を支えていたものは、なんだったのでしょうか。

「やはり使命感でしょうか。ここまで長い時間をかけて右肩下がりできたチームですから、そう簡単に底を打って浮上はしないだろうと考えていたのと、私がここで踏ん張って立て直すことができなかったら中央大学は終わってしまう。そんな覚悟を持って入職したので、どんな批判を受けてもやり遂げるんだと今でも毎日思っていますよ。批判を浴びるのは、良くも悪くも選手時代に慣れていたので、それでなんとかやっていけてるんじゃないかなと思います」

【第2回】「4年間で燃え尽きないように…」 中央大・藤原正和監督の駅伝指導と現役時代の教訓

【第3回】妻の言葉で「ハッと気づいた」 中央大・駅伝監督が“怒らない”指導に変えた5年目の決断

【第4回】少数精鋭の中央大でいかに駅伝を戦うか 名門率いる藤原正和監督が胸に刻む信念と葛藤

【第5回】箱根駅伝優勝へ、中大の“10年計画” チャンスは残り3回、藤原正和監督「風穴開けたい」

(佐藤 俊 / Shun Sato)

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藤原 正和

中央大 陸上競技部 駅伝監督 
1981年生まれ、兵庫県出身。現役時代は中央大の中心選手として箱根駅伝などで活躍。2001年ユニバーシアード北京大会の男子ハーフマラソンで金メダルを獲得した。03年のびわ湖毎日マラソンでは日本人トップの3位入賞、2時間08分12秒のタイムは初マラソン日本最高記録とマラソン日本学生最高記録となっている。卒業後はホンダに入社。世界陸上の男子マラソンに2度出場するなどの実績を残し、16年に現役を引退すると中央大の駅伝監督に就任した。同年の箱根駅伝出場を逃すなど苦しい時も過ごしたが、着実にチームを強化。今年度は3大駅伝にフル参戦し、出雲駅伝3位、全日本大学駅伝7位の成績を引っ提げて箱根路に挑む。

佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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