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三浦龍司に「世界を見せてもらった」 東京五輪で決意新た、順大監督が描くパリへの道

長門俊介監督は2年後のパリ五輪へ向けて海外でのレース経験が必要と語った【写真:編集部】
長門俊介監督は2年後のパリ五輪へ向けて海外でのレース経験が必要と語った【写真:編集部】

東京五輪のタイムに驚きなしも「アフリカ勢と遜色ない走り」に興奮

 東京五輪に向けての練習は、箱根駅伝が終わってからスタートした。冬の取り組み、春のレースの組み方など考えていたが、長期的な展望に立って何か特別なことはしなかった。

「特別なことはしていなくて、その時の体調や練習の進行具合などを見て、調整していく感じです。実際、3月には故障して、上手くシーズンインすることができなかった。そういった影響もあり、振り返ってみると、ほぼ毎週末、短期合宿を入れていました。同じ合宿地だったので、よく飽きずに取り組んでくれたなと思っています(苦笑)。これだけ小刻みに合宿を入れて、強化メニューなども変更しながら準備を進めました。それに三浦がよく対応してくれたという印象です」

 東京五輪の3000メートル障害で三浦は、予選1組で2位となり、着順で決勝進出を決めた。長門監督は、その内容に驚きを隠せなかったという。

「日本選手権の走りを見て、8分10秒は切ると思いました。日本選手権は外側水濠で、国立競技場は内側水濠です。基本的に内側水濠のほうが記録は出ます。また日本人だけのレースでしたので、競り合う相手がいれば当然レベルは上がること、さらに水濠の後に転倒していますからね。そんな簡単な話ではないのかもしれませんが、日本選手権の記録よりも5秒は短縮できると考えていました。五輪での予選の記録に関しては、展開が良かったので、記録については、あまり驚くことはなかったのですが、内容ですよね。ドーハ世界陸上の銀メダリストのギルマ選手と肩を並べて遜色ない走りをした姿には興奮しました」

 三浦はケニア、エチオピア勢の中に割って入り、堂々の2位。8分9秒92は日本記録、予選全体でも2位の記録で、メダルへの期待が一気に膨らんだ。49年ぶりの日本勢の決勝進出となったレースは、ラスト2周になったところで先頭集団から離されたが、9位から追い上げて、最終的に2人を抜いて7位という成績を収めた。

「レース後に三浦とレースについて話をしましたが、『ハイペースだった』みたいなことを言っていたのですが、どうやらタイムを確認したところが違ったりしていたみたいです。やっぱり緊張したり、雰囲気に呑まれたりしていたのでしょうね。ハイペースだと感じていたのにもかかわらず、レースを引っ張ってしまったところも経験のなさだったのかなとも思います」

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長門 俊介

順天堂大学 陸上競技部 駅伝監督 
1984年生まれ、長崎県出身。諫早高校から順天堂大学に進学し、箱根駅伝は4年連続で9区を走った。卒業後はJR東日本に進み、2011年に順天堂大学陸上競技部のコーチ、16年に駅伝監督に就任した。3000メートル障害で塩尻和也、三浦龍司と2人のオリンピアンを輩出、22年の箱根駅伝では総合2位となりチームを15年ぶりのトップ3に導いた。

佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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