「目標と目的をはっきりさせる」 アイスホッケー界のレジェンドが伝えたい「意識」
「一度の人生における最高な決断をするための人間形成を創造する」 そんな理念の下に生まれたのが「Bring Up(BU)アスレチック・ソサエティー」だ。「THE ANSWER」では、たびたび箕内拓郎氏、小野澤宏時氏、菊谷崇氏というラグビー界のレジェンド3人が主宰する「BUラグビーアカデミー」をご紹介しているが、「BU」にはもう1人、レジェンドがいる。それが「BUアイスホッケー・アカデミー」を主宰する鈴木貴人氏だ。
元日本代主将の鈴木貴人氏が主宰する「BUアイスホッケー・アカデミー」に迫る
「一度の人生における最高な決断をするための人間形成を創造する」
そんな理念の下に生まれたのが「Bring Up(BU)アスレチック・ソサエティー」だ。「THE ANSWER」では、たびたび箕内拓郎氏、小野澤宏時氏、菊谷崇氏というラグビー界のレジェンド3人が主宰する「BUラグビーアカデミー」をご紹介しているが、「BU」にはもう1人、レジェンドがいる。それが「BUアイスホッケー・アカデミー」を主宰する鈴木貴人氏だ。
北海道苫小牧市出身の鈴木氏は、駒大苫小牧高から東洋大に進学し、在学中からアイスホッケー日本代表に選ばれた名フォワード。1999年から2013年まで、実に15年連続で日本代表に選ばれ、世界選手権出場14回オリンピック予選出場2回、アジア冬季競技大会出場3回など、数々の国際舞台を経験した。また、大学卒業後は日本リーグの強豪・コクドに進み、2002年にはアイスホッケー大国アメリカのイーストコーストホッケーリーグ(ECHL)に属するシャーロットのトライアウトに合格。1シーズン、本場の厳しさの中で揉まれた。
2003年にコクドに復帰すると、翌シーズンからプロ契約選手となると同時に主将に任命。SEIBUプリンスビッツと改称後の2008-09年シーズンで廃部となるまでチームを率いた。その後、日光アイスバックスに移籍し、主将も務めたが、2013年アイスホッケー世界選手権を最後に引退。日本代表ヘッドコーチを経て、現在は母校・東洋大で監督として学生の指導・育成にあたるアイスホッケー界のレジェンドだ。
「元々、育成や競技普及には興味があった」という鈴木氏は、縁あってラグビー界のレジェンド3人と知り合い、意気投合。「BUアスレチック・ソサエティー」の2本柱の一つとして、2018年に「BUアイスホッケー・アカデミー」をスタートさせた。
このアカデミーが持つ最大の特徴は、選手と指導者、双方の育成という着眼点だ。「BUアイスホッケー・スクール」の対象となるのは、小学4~6年生、中高生だが、スクールの指導を東洋大アイスホッケー部の学生が手伝ったり、将来のプランとして指導者を選択肢に持つ現役選手が参加したり。教える側、教えられる側がともに人間として成長できる場を提供することが、「BUアスレチック・ソサエティー」が掲げる理念の一つでもある。
「BUの掲げる理念の一つに、コーチの育成やコーチングの場を提供する、というものもあります。東洋大の学生にも子供たちの指導を手伝ってもらいますが、最終的に彼らがコーチになるかは別としても、子供たちに分かりやすく伝えるという行為を通じて、学生たちが自分で考えるきっかけにもなると思うんですよね。普段は選手として指導者から伝えられる受け身の部分がある。でも、子供たちに伝えるとなると、自分で本当に理解していなければならない。学生も子供たちと接することで新たな気付きがあるようです」