正しいのは“両利き指導か利き足指導か” 日本人育成コーチが世界の舞台で覚えた違和感
高崎康嗣は、2006年から川崎フロンターレU-12の指導を始めた。3年目にはダノンネーションズカップ(小学生年代のサッカー日本一を決める大会)を制し世界大会に進出。だが世界で戦ってみて「ちょっと待てよ……」と、違和感を覚え始めた。
【元川崎U-12監督が追求する日本サッカー“異端の指導法”|第1回】高崎氏が辿り着いた“利き足指導”
高崎康嗣は、2006年から川崎フロンターレU-12の指導を始めた。3年目にはダノンネーションズカップ(小学生年代のサッカー日本一を決める大会)を制し世界大会に進出。だが世界で戦ってみて「ちょっと待てよ……」と、違和感を覚え始めた。
「ファーストタッチの質、プレッシャーの強さ、切り替えのスピード……。最初はとてもついていけるレベルじゃなかった。それでも当時の選手たちは、周りの良さを吸収してどんどん変化していったんですけどね。どうして外国の選手たちは、こんなにどんどん上手くなっていくんだろうと疑問が膨らみ、ちょうど私と同年代のジョゼップ・グアルディオラ監督が指揮するバルセロナを教科書に、ひたすら映像を見ました」
同じサッカーなのに、彼我を比較すると似て非なるものがある。そんな時に目にしたのが、明光サッカースクールで指導をする檜垣裕志のブログだった。
「アッ!と思いました。クラブ内では、左右両足差のないように、というジュニアの指導方針がありました。しかしバルサの映像を見ていても、あれだけ質の高いファーストタッチ、ボールコントロールを実現しているのは『両足じゃないな? では利き足だ』と気づき始めたんです」
ブラジルに渡りポルトゲーザとプロ契約を果たした檜垣は、まさに両足平等ではなく、利き足を徹底して磨くことを提唱していた。実際に檜垣も、日本で過ごした高校時代は左右同じように、と指導を受けてきた。ところが逆に南米では、どんな局面でも利き足を操る選手しかいなかった。
高崎は自問自答を繰り返した。
「そもそも武器、ってなんだろう。野球に両手投げはいないし、テニスにも状況に応じてラケットを持ち替える選手はいない。なぜ、足だけ両方使うように言われるんだろう? 片足でプレーする競技なのに……」
思えば高崎自身が、自分の利き足を分からなくなっていた。
「中高生の頃は、毎日壁に向かって右も左も100回ずつくらい蹴り込んできました。自分がドリブルも含めて両足でできることに違和感がなかった。右は強く蹴れるし、リフティングやドリブルは左で始めていました」