新谷仁美らを育てる陸上コーチ・横田真人 選手たちの“その後”を本気で考える指導論
2012年のロンドン五輪に陸上男子800メートルの日本代表選手として出場。その後はアメリカに渡り、競技を続けながら公認会計士の資格を取得するという異色の経歴を持つ横田真人氏。2016年に現役を引退し、現在は自身の陸上クラブ「TWOLAPS TRACK CLUB」を運営している。アスリートからコーチへの転身、コーチの役割とは何か、について話を聞いた。(取材・文=三河 賢文)
ロンドン五輪800メートル代表、競技を続けながら公認会計士の資格取得した異色のコーチ
2012年のロンドン五輪に陸上男子800メートルの日本代表選手として出場。その後はアメリカに渡り、競技を続けながら公認会計士の資格を取得するという異色の経歴を持つ横田真人氏。2016年に現役を引退し、現在は自身の陸上クラブ「TWOLAPS TRACK CLUB」を運営している。アスリートからコーチへの転身、コーチの役割とは何か、について話を聞いた。(取材・文=三河 賢文)
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――まずは選手時代のことをお伺いさせてください。いつ頃からオリンピック出場を意識されましたか?
「陸上競技は中学3年生の頃、顧問だった先生に誘われて始めました。はじめから高い目標を掲げていたわけではなくて、高校時代は「インターハイに出られたらいいな」というくらい。まさか自分がオリンピックに出られるとは思っていませんでしたね。でも高校1年生のインターハイ出場をきっかけに、少しずつ目標が大きくなりました。
大学に進学すると、1年生で日本選手権に出場し、優勝を果たしました。さらにその翌年も日本選手権優勝。同年、2007年に開催される世界陸上に出場できることになったんです。でも世界陸上では、1秒以上も自己ベストを更新したのに惨敗。そこで「もう一回この選手たちと戦いたい」という気持ちが湧き、オリンピックを意識し始めました」
――そこから奮起して、オリンピック出場を果たされたのですね。
「当時、オリンピックや世界陸上の800メートルに日本代表として出場していた選手はわずかでした。オリンピックの800メートルなんて、日本人は40年以上も出場していなかったんですよ。私は誰もやってこなかったことに挑戦したいタイプなので、その状況がとても魅力的に感じました。長距離や駅伝のお誘いもありましたが、すべて断って800メートルにこだわりましたね。
ただ、大学生のときに開催された北京オリンピックには出場できませんでした。このままでは終われないと思い、一般企業に就職するのではなく、実業団などに入り選手になろうと覚悟を決めました。そして富士通に入社し、2012年のロンドンオリンピックで出場を果たしています」