大山加奈に聞く 今、変わる「脱・勝利至上主義」で日本のスポーツは強くなるのか
「『勝利至上主義』が絶対ダメではなく、大人が子供にそれを強制することがダメ」
大山さん自身、現役時代は「勝ちたい」「日本一になりたい」という勝利至上主義に憑りつかれ、結果として今も日常生活に響く腰痛を負った。
その過程で小・中・高と日本一を達成し、日本代表として五輪出場。「パワフルカナ」の愛称がつき、選手としてトップ選手の道を歩み、引退後もバレーボールの解説者として広く認知されるなど、成功体験を得ている。
ただ「私は小・中・高と全国制覇をしてきたからこそ、伝えられることがあると思います」
「バレーボールをして良かったことは仲間ができた、健康になった、人生豊かになったという面がある一方で、バレーをやってきたから生まれてしまった弊害もあります。バレーをやっていなかったら、こんなに苦労しなかったのに……と思うことも結構あります。そういう経験をしたアスリートは決して多くはなく、競技をやってきて良かったと思う人が多いと思うので、栄光も挫折も味わってきたから伝えられることがあると思っています」
現在は全国を回り、バレーボール教室を行っている大山さん。では、自身は“指導者”としてどんな願いを込めて接しているのか。
「『みんな、一人一人が大事な存在なんだよ』と伝わるように、いつも意識して指導しています。試合に出られない子もそう。エースやセッターがどうしても目立ちますが、泥臭く拾ってレシーブで頑張っている子も、下手くそでもチームのために大きな声を出している子も大事。自分も大切にしてもらいたいというのが、一番の願い。みんな大事な存在だし、一人一人違ってもいいんだよって」
2010年に引退してから、もう10年。指導してきた中で忘れられない少女が一人いる。
フジテレビ系「ライオンのグータッチ」で指導した小学6年生。バレーボール経験が浅く、同学年で唯一レギュラーになれず、サーブを入れるのも精いっぱいだった。しかし、卒業後も中学で続け、「サーブどうしたらいいですか」「レシーブが上手くなるには……」とLINEで質問が頻繁に来た。
先日、中学3年生で引退したばかりだったが、その際に「バレーボールをやってきた良かった」と言われたという。
「正直、小学校までで辞めると思っていました。サーブもなかなか入らず、本当に“ぶきっちょさん”で、きっと中学校ではやらないだろうなと。そういう子が続けてくれたことがまずうれしかったですし、最後まで3年間やり遂げてくれて『加奈コーチと出会えて良かった』と言ってくれて。
それが本当にうれしくて、なんて幸せな仕事をさせてもらっているんだろうと感じさせてもらった出来事です。その時に思ったのは私の場合、指導者の一番のやりがい、幸せはそこにあるとうこと。子供たちがそのスポーツをずっと好きでいてくれる。それも指導者として大事じゃないかって」
もちろん、大山さんの場合は部活で監督をしているわけではない。しかし、バレーボールを“教える”ということの意味を考え、体現しようとしている。その上で、最後に「脱・勝利至上主義」と「競技力向上」の関係について改めて語った。
「私は『勝利至上主義』が絶対ダメということではなく、大人が子供にそれを強制することがダメだと思っています。子供自身が勝ちたい、上手くなりたい、強くなりたい、五輪行きたいと気持ちを持って取り組むことは素晴らしいことです。
大人のエゴで、子供に強制し、自分の駒のように動かしている現状がいけない。子供を取り巻く大人の意識が変われば、全国大会があってもいいと思っています。子供が日本一になりたいとプレーすることは決して悪いことじゃないですから」
これが、バレーボール、そしてスポーツの未来を願う者としての偽らざる想いである。
■大山加奈
1984年生まれ、東京都出身。小2からバレーボールを始める。成徳学園(現下北沢成徳)中・高を含め、小・中・高すべてで日本一を達成。高3は主将としてインターハイ、国体、春高バレーの3冠を達成した。01年に日本代表初選出され、02年に代表デビュー。卒業後は東レ・アローズに入団し、03年ワールドカップ(W杯)で「パワフルカナ」の愛称がつき、栗原恵との「メグカナ」で人気を集めた。04年アテネ五輪出場後は持病の腰痛で休養と復帰を繰り返し、10年に引退。15年に一般男性と結婚し、今年妊娠を公表した。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)