名門高校サッカー部でたった1人の女子マネが戦った 元Jリーガー監督の父と駆ける夏
圧倒された「戦場」、輪に入れずにずっと1人…「辞めたい」と涙する日々
全国屈指の強豪校の部活。その雰囲気に圧倒され、輪に入れず、誰とも話せず、仕事もできない。「いつも、ずっと1人でした」。相談しようにもグラウンドには女子はおろか、マネージャーすら他にいない。50人以上の部員を相手に、孤独に押し潰されそうだった。中高ともに男女別学。校舎は分かれ、中学3年間で男子と接する機会もなかった。そんな様子を見て、父は思っていた。
「少なからず、ここにいる選手はそれなりに“選ばれてきた”ような子たち。彼女は何か特別な経験があったわけではなく、我が強い男性社会で揉まれたこともない。1年生でそういう戦場に入っていくことは、とても簡単とは思えない。父である以前に監督として、そんなに甘いものじゃないと」
サッカーに秀でた能力を持った男子が集まり、レギュラーをかけて必死に争う「戦場」。高い壁にぶつかり、美南さんは毎日のように泣いた。父に見られたくない。部屋にこもり、声を殺した。「辞めたい」とも思った。ただ、ずっと夢見て、自分が選んだ道。簡単に諦めたくなかった。今はつらくたっていい。「やり続ければ、3年後に絶対良かったと思える」と信じ、前を向いた。
きっかけになったのは「みんなの役に立ちたい」というマネージャーとしての純粋な気持ちだった。「もっと、仕事しなきゃ」。そう考えるようになると、自然と選手たちとの会話が生まれた。「これって、どうやればいいの?」。最初は怖いと思っていた選手たちが次第に教えてくれ、打ち解けることができた。今でも忘れられないのは1年生も半ばを過ぎた頃、初めて選手から「これ、お願いしてもいい?」と頼まれた仕事。「本当にうれしくて……」。ただのユニホーム整理が、特別な瞬間になった。
自信が、自分を変えた。では、強豪チームを1人でどう支えたのか。工夫を凝らし、誰も見えない場所で、苦労を重ねた。
仕事は練習中の備品の運搬、練習着の整理、来客対応まで多岐に渡る。ただ、女子は午後6時までに下校という校則がある。練習は6時以降も続き、最後まで選手といることはできない。特に夏は練習中、ドリンク作りだけで時間が過ぎ、他にやるべき雑務が追いつかない。空いている時間はどこか。自分で考え、行動に移した。眠い目をこすって午前7時に一人で誰もいない部室に入る。それでも足りなければ、昼休みも使い、できることは何でもした。そんな陰の努力に、選手の信頼も少しずつ増していった。
やがて2年生となり、迎えた最上級生。U-20日本代表FW西川潤(3年)らを擁するチームは昨夏のインターハイで準優勝するなど、全国トップレベルまで強くなった。選手の成長と比例するように、強くなったのはマネージャーも一緒。今はもうサポート役の男子下級生に指示する姿がなんとも頼もしい。
「マネージャーをやる前までは気遣いもできなかった。でも、最初に選手と全く話せなかった時、何も話せずにいつも1人でいるから、普段は誰かと話しながら歩いている道も周りを見ながら歩けた。そういう時に気づけることもあると思った。だから、もっと見ながら動かなきゃと最初に気づけた。人のためにやることって意外と難しくて、あれもこれもやろうとすると頭がぐちゃぐちゃになって、全然できない。でも、だんだんと慣れて、こなせるようになって、少しは心が広くなったかなという気がしています」
孤独も、挫折も、涙すらも、すべて成長の力に変えた2年半を、今となっては笑顔で振り返る。