長崎の離島ランナーが打った勇気の逃げ たった1周でも…全国の決勝で川原琉人は知った「これが王者の風か」
レース後に他校の選手から求められた握手「ナイスラン! また戦おう!」
必死に食らいついた留学生集団から徐々に離され始める。
3000メートルを過ぎて7位集団に飲み込まれ、その集団からも脱落。逆に一人、集団を追いかける展開に。でも――。「ここで諦めるという心だけは持ちたくなかった」。寄付してくれた人たちへの想いが、農道で鍛えた脚を回した。
ラスト1周。メガネをかけた顔いっぱいに苦悶の表情を浮かべながら、前を走る選手に追いつく。100メートルを切っても並走状態。とっくに枯れたはずの力を振り絞った。ラストスパートで0秒44競り勝ち、崩れるようにしてトラックに倒れ込んだ。
「ラスト、競り勝つのは目標だった。一人でも勝って、この舞台を終わりたいと」
優勝した選手から40秒近く遅れ、自己ベストにも及ばない「14分20秒77 17位」。記録に残るのはそれだけのこと。しかし、記録には残らない大切なものを一緒に走ったライバルは知っていた。
レース直後、一人の選手から「マジ、ナイスラン! このまま逃げられたらどうしようって、ずっと思ってた。また戦おう!」と握手を求められた。川原は「行ける限り、留学生と勝負するのが俺の目標だったから。ありがとう!」と返し、差し出された手を握った。
この1年間、競う相手もおらず、たった一人で走ってきた男を繋いでくれた陸上の絆。
「結果は関係なくて内容が大事だった。自分の力を2000メートルくらいまで出し切れたので、良いレースだったと思います」
走り終えた川原は、そして、寄付してくれた人たちに何よりも深い感謝を示す。
「この舞台に立って、こういうレースができたのも皆様のおかげ。感謝の気持ちを走りで表すしかなかった。先頭を引っ張って、全力で挑むという気持ちは伝えられたと思います」
卒業後は関東の強豪私大に進学し、箱根駅伝出場を目指す。
予選敗退だった1500メートルと5000メートルの予選・決勝と走ったインターハイの全3レース。「今日も最後バテてしまったので、スピードの持続力が課題。速いだけじゃなく、強いと言われる選手を目指して、それに近づきたい」。福江島に戻れば、また一人、農道を走る日々が始まる。
でも、ちょっとくらい休んでもいい。
「島に帰ったら、海、見たいですかね。遠くから眺めると、凄く綺麗なんです」
きっと福江島も帰りを待っている。
夏なのにもう涼しい北海道の夜風が、そっと労うように川原の体を優しく包んだ。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)