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高校から陸上部→3年で全国区、箱根エースに 転機は「体育祭」…他の駅伝強豪校に目移りせず――帝京大・楠岡由浩

2年目で箱根5区に出走「来年は走力を高めて平地区間を」

――1年時に苦しんだ分、2年生になって怪我の予防やケアなどで新たに取り入れたこととかはあったのでしょうか。

「ケアとかは高校の時からやっていたので、特に新しいことに取り組んだというのはないのですが、監督とよくコミュニケーションを取るようになりました。足に違和感や痛みを感じた時は、すぐに監督に相談をして、練習のメニューを飛ばしたり、変更したり、休んだりするようにしました。そうして、監督と相談しながら無理をしなくなったのが大きいです。でも、一番大きいのは、医科学センターというクリニックで自分の体がどうなっているのかを知ることができたことです」

――クリニックで自分の体を知るというのは、どういうことでしょうか。

「医科学センターは大学の構内にあるんですが、そこで超音波やMRIなどを撮り、例えば足のどこに炎症が起きているのかというのを診断してもらいます。それを理解した上で今度は治療院で治療していくという流れが出来ていて、事前に大きな怪我を防ぐことが可能になりました。やっぱり走力を上げるには継続が一番なので、そのためには故障しないことが重要になります。医科学センターで自分の体に何が起きているのかを知り、すぐに対応ができるようになったのが大きいですね」

――2年目は3大駅伝に絡むことができました。箱根駅伝は5区を走りましたが、監督に指名された時は、うれしかったですか。

「正直、ちょっと微妙でした。やったーでもないですし、イヤだという気持ちでもない。まぁがんばろうって感じでしたね(苦笑)。入学した時から山登りをやってみたいというのは口にしていたんですけど、得意という感じでもなかったんです。だから、その時の5区は絶対に自分が良いという感じではなく、監督もいろいろ悩んだ末の5区だったんじゃないかなと思います」

――実際に走った5区は、どういう印象でしたか。

「難しかったですね。71分ぐらいの設定で、実際は73分もかかってしまった。タイムもダメでしたし、区間17位でかなり順位を落としてしまったので、不甲斐ない結果に終わってしまいました。5区は、坂がちょっと得意なぐらいじゃ通用しないです。箱根の山を走るには、やっぱり1年間をかけて準備をしていかないと走れない、そのくらい厳しい区間だと実感したので。来年は走力を高めて平地区間を走りたいと思いました」

(佐藤 俊 / Shun Sato)

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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