「日記を読むと、分かるんです」 箱根の号泣から1年、國學院大・平林清澄を支える秘密
生来の負けず嫌い。例えば、ちょっとしたスマートフォンゲームでも、負けそうになると消してしまい、二度とやらない。「(負けても)こんなに続いているのは陸上だけです」
2度目の箱根駅伝に挑む平林、インタビューで明かした自覚と情熱
生来の負けず嫌い。例えば、ちょっとしたスマートフォンゲームでも、負けそうになると消してしまい、二度とやらない。「(負けても)こんなに続いているのは陸上だけです」
前田康弘監督率いる國學院大駅伝チームの平林清澄。1年から出雲駅伝、全日本駅伝、箱根駅伝と、大学三大大会に出場する彼は、2年にして、チームの一角を担う。
小さな頃から走ることが好きだった。小学校も中学校も陸上部はなかったが、市民マラソンや記録会には出場した。練習場は、アップダウンの続く約4キロの通学路。学校から毎日、走って帰宅した。
「中学1年生のとき、初めて5000円ぐらいのランニングシューズを買いました。毎日の練習も大会でも、卒業するまで履いていたのはその一足だけ。最後はソールがめっちゃ削れて、ボロボロでしたね」
通っていた武生第五中は、全校生徒わずか30数名。陸上部はなかったが、「出たいヤツはいないかぁ?という感じ」(平林)で寄せ集められた生徒たちでチームを組み、3年間、地区駅伝に出場した。
平林のなかで駅伝が「特別」になったのは、1区を任された3年生のときの大会だった。
「自分の渡した襷を握って、最終区の選手がゴールに帰ってきた。その姿を見たときに、もう嬉しくて嬉しくて、めちゃめちゃ泣きました。
僕が走り終わっても、僕と一緒に走った襷は、ずっと繋がっている。その襷を繋いだ人がゴールするまで、レースは終わらない。それって、なんかすごいなっ!と感じたことが、駅伝にのめり込んだいちばんの理由です」
昨年、初めて走った箱根駅伝でも、同じような感情が溢れた。往路4位で終えた國學院大は、復路で13位と順位を落とし、総合8位でフィニッシュ。大会後に行われた慰労会で、他の選手は皆、涙とともに「悔しい」「ごめん」という言葉を吐いた。
「僕だけ1番最初に口から出てきたのが、『大手町に襷が帰ってきて、ホッとしました』という言葉でした。
1年間、一緒にやってきたチームの繋いだ襷がちゃんと、1月3日に、大手町に帰ってきた。それが、嬉しかったというか、ホッとしたんです。その後はもう、涙が止まらなくなっちゃいました」