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トラック運転手も経験 「ニッポンの大砲」山本隆弘、部員2人から始まったバレー人生

バレーボールの北京五輪代表・山本隆弘氏が21日、兵庫・西宮市内の報徳学園高を訪問し、400人の生徒を相手に講演を行った。希代の名アタッカーは廃部寸前の中学バレー部からスタートしたバレー人生で一度は挫折し、トラック運転手を経験しながら、日本代表に上り詰めた半生を披露。バレー部に直接指導も行い、日の丸戦士の経験と哲学を伝授した。

バレーボールの北京五輪代表・山本隆弘氏【写真:編集部】
バレーボールの北京五輪代表・山本隆弘氏【写真:編集部】

バレーボール北京五輪代表の名アタッカーが報徳学園高で知られざる半生を講演

 バレーボールの北京五輪代表・山本隆弘氏が21日、兵庫・西宮市内の報徳学園高を訪問し、400人の生徒を相手に講演を行った。希代の名アタッカーは廃部寸前の中学バレー部からスタートしたバレー人生で一度は挫折し、トラック運転手を経験しながら、日本代表に上り詰めた半生を披露。バレー部に直接指導も行い、日の丸戦士の経験と哲学を伝授した。

 高校生たちが一斉に首を傾け、目を見開いた。スーツ姿で登場した山本氏の大きさに会場はどよめいた。登壇した39歳は「大きくてビックリしたでしょ? 現役時代は200センチ。引退して4年たつけど、まだ成長している。今は202.4センチです」といきなりの仰天告白。「東京五輪までに250センチになっていたら、代表に挑戦しようと思っています」とジョークで笑いを取った。

 この日は大塚製薬が企画し、テニス、サッカー、バスケットボール、バレーボール、柔道、バドミントンを通じて、全国170校の部活生を応援する「ポカリスエット エールキャラバン」の一環として訪問。「世界が認めたニッポンの大砲」のキャッチフレーズで、日本代表のエースとして活躍した輝かしいイメージが強いが、講演で明かしたバレー人生は、実は波乱万丈だった。

 バレーとの出会いは中1秋だった。活発なスポーツ男子だった隆弘少年。しかし、小学校時代にやった野球は投手で初めて出場した試合で全くストライクが入らずに挫折し、もう一つのサッカーは入学した鳥取東中がJリーグ開幕のサッカー人気で部員200人の多さで体験入部でボールすら触らせてもらえずに断念。足の速さを見込まれ、入部した陸上部も身が入らず、半年で退部した。

 校則で部活に所属しなければならず、どうしようかと思っていた矢先、クラスメートに声をかけられた。「バレーボールに入ってもらえない?」。理由は明確だった。3年生8人が引退し、残ったのは1年生1人のみ。このままでは廃部になる。「名前だけでいいから……」。その言葉に押され、幽霊部員になるつもりで「バレーボール部・山本隆弘」が生まれた。

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