「死ねって言葉よりきつかった」 生きる手段だった陸上、批判覚悟でセミヌードになった理由――パラ陸上・中西麻耶
自費出版に踏み切ったセミヌードカレンダーが批判の着火点に
まず、手に入れたのはマニキュアだった。アルコーチの妻だった人は、アメリカ女子陸上短距離の選手、故フローレンス・ジョイナーさん。長い爪を飾る煌びやかなネイルアートは、ジョイナーと聞けば誰もが思い浮かべる、唯一無二の個性だった。
「そうそう、いつもすごくキレイなネイルをしていましたよね。一度、アルに『彼女はあんなに爪が長くて、スパイクの紐とか結べたの?』と、聞いたことがあるんです。そうしたら『彼女はすごく器用に結んでいたんだよ』と話してくれました」
一方、日本のスポーツ界では「競技にお洒落は必要ない」という考えが、スポーツ界では一般的。「お洒落にうつつを抜かして競技に集中していない」。日本の大会に出場すると、そんな声ばかりが、耳に入った。
「競技もお洒落も当たり前に頑張る選手たちとトレーニングを続けていただけに、環境や文化のギャップをすごく感じました。あぁ、日本ではそういう風に見られちゃうんだな、って」
加えて、障がい者として相応しくない、とも評された。「空回りをしていて可哀想」。脚を失う前と同じように振る舞うほど、そうも言われた。
「私は健常者として生きていた人生もあったので、そのギャップに驚きました。私は脚を失くしただけで、中西麻耶という人格や心まで失ったわけではありません。それなのに、こんなにも周囲の目は変わってしまうのか、と」
それでも、記録を更新し続けていた中西は、外野がどう言おうと、メイクを止めることはしなかった。しかし、バッシングの声は次第に世間を巻き込み、広がっていく。
2012年に自費出版に踏み切ったセミヌードカレンダーは、その着火点となる。
カレンダーの出版は、活動資金を得るために決断した。なぜ、セミヌードにしたのかと聞くと「だって、自分には本当に何もなかったから」と答えが返ってきた。
当時の中西は、プロ選手とはいえスポンサーもなく、強化費、遠征費、生活費はすべてが自腹だった。競技用義足の制作にも100万円以上かかる。ところが、明日の食事のありつけるのかもわからないほどに、困窮。ロンドン五輪を目の前にして「引退もやむなし」の状況だった。
「試合はメディアに残るし、ボロボロの姿で出場したら、それこそスポンサーなんてついてくれません。だから、普段は穴の空いた靴下を履いて、ボロボロのウエアを着回していたけれど、大会ではきちんとメイクをして身なりを整え、試合に臨みました。
当時、『プロで活動していて、キレイに着飾って、こいつは何の苦労もしていない』と思われたことが、本当にたくさんあった。でも、そんなことはない。私もたくさん犠牲にしてきたし、この体一つしかないんだってことも表現したかった」