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海外には「障がいのある子の存在を隠す国も…」 パラ競技の女性活躍、簡単ではない世界の実情

井本さんはパラ元競技者が指導者になる上での課題について河合氏と話し合った【写真:中戸川知世】
井本さんはパラ元競技者が指導者になる上での課題について河合氏と話し合った【写真:中戸川知世】

パラ元競技者が指導者になる上での「一番の課題は…」

井本「確かに元競技者がコーチとして次の世代を指導しているという話は、あまりパラ競技では聞かない気がします。選手のセカンドキャリアを考える上で、指導者になるという選択は、当たり前に考える道の一つだと思いますが……」

河合「そこでの一番の課題は、実は大会や合宿といった遠征時のさまざまな作業の部分です。例えばパラリンピックを例にすると、代表選手は選手村に入りますよね。そして、選手村に入れるスタッフの人数は、選手の人数に応じて決まります。障がい者のコーチにも選手と同じく、サポート人員が必要です。しかし、コーチのために入村するスタッフの人数を増やすのは、様々な仕組みや都合により、物理的に難しい」

井本「人数を制限されると、結局、何でもかんでもマルチにできる人が優先されます。でもそれは障がい者のスタッフの活躍の場を狭める原因になってしまいます」

河合「その通りです。我々は、指導者になる、JPCに関わってくださる女性パラアスリートをどんどん増やしていきたいと考えています。そのためには、引き続き国際パラリンピック委員会(IPC)らと話し合いを続け、障がいのある強化スタッフもチームの一員として活躍できる環境を整えていけるよう、訴えていかなければいけません」

(中編に続く)

【中編】スポーツ団体「女性理事4割」の目標は妥当? 数合わせに流されず、真の多様性を確保するには

【後編】男女で分かれる更衣室にどう対応? スポーツとLGBTQ、競技団体によっては未だ「感度が鈍い」

■河合 純一 / Junichi Kawai

 静岡県出身。5歳から水泳を始める。先天性の弱視で、15歳で全盲となる。筑波大付属盲学校(現資格特別支援学校)在学中、1992年バルセロナ・パラリンピックに出場。計5個の銀・銅メダルを獲得。以降、2012年ロンドンまで6大会連続で出場し、金メダル5個を含む計21個のメダルを獲得した。2016年には日本人として初めて国際パラリンピック委員会(IPC)パラリンピック殿堂入り。早稲田大学大学院在学中に発足した日本パラリンピアンズ協会会長や日本パラ水泳連盟会長などを務め、2020年、日本パラリンピック委員会(JPC)委員長に就任する。東京大学教育学研究科付属バリアフリー教育開発研究センター協力研究員、東京2020パラリンピック競技大会・北京2022パラリンピック冬季競技大会日本代表選手団団長。

■井本 直歩子 / Naoko Imoto

 東京都出身。3歳から水泳を始める。近大附中2年時、1990年北京アジア大会に最年少で出場し、50m自由形で銅メダルを獲得。1994年広島アジア大会では同種目で優勝、1996年、アトランタ五輪4×200mリレーで4位入賞する。2000年シドニー五輪代表選考会で落選し、現役引退。スポーツライター、参議院議員の秘書を務めた後、国際協力機構(JICA)を経て、2007年から国連児童基金(ユニセフ)職員となる。JICAではシエラレオネ、ルワンダなどで平和構築支援に、ユニセフではスリランカ、ハイチ、フィリピン、マリ、ギリシャで教育支援に従事。2021年1月、ユニセフを休職して帰国。3月、東京2020組織委員会ジェンダー平等推進チームアドバイザーに就任。6月、社団法人「SDGs in Sports」を立ち上げ、アスリートやスポーツ関係者の勉強会を実施している。

(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)


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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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