デビュー数日で始球式、ゼッケン盗難騒動 女性というだけで過熱した“アイドル騎手”の葛藤――騎手・藤田菜七子
JRAデビューすると過熱人気 プロ野球始球式にゼッケン盗難騒動も…
夏は午前4時に起床。騎手として必須の体重管理のため、体重測定から1日が始まる。以降、厩舎作業、実技、学科とカリキュラムがびっしりと詰め込まれる。自由時間となる午後5時以降も、消灯する午後10時までトレーニングや学科の勉強など、自習に充てられる。
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全寮制で外泊は許されない。当時は髪型も男子は丸刈り、女子もベリーショートという規定。思春期だった15歳は「自分として思い切り、髪を切って行ったんですが、それでも長いと言われて乗馬の先生にザクザクと切られました」と笑って振り返る。
藤田が感じた壁が、騎乗訓練だ。中学生までは男女の体格差はそれほど大きくなかったが、高校生の年代になると、それが顕著に。サラブレッドをコントロールするには腕力や体幹など、全身の筋力が求められる。気性の荒い馬なら、男性でも振り落とされる。
「500キロの馬が全力で走って、みんながみんな言うことを聞いてくれる馬はいないので。みんなができることが私はできなくて、みんなが乗れる馬が私は乗れなくて、すごく悔しくて。上手くなれる気がしなくて、辞めてしまいたいと思ったこともありました」
1年目の冬に学校を飛び出して実家に戻ったこともあった。当時は「親や先生に励まされて、もう一度、頑張ろうと思いました」。学校側の配慮もありがたかった。もともと女子は別の建物だったが、男子棟の廊下の奥に仕切りのドアをつけて藤田の部屋も並べた。
「女性というだけで孤立しないようにしていただいて……。女子が入ったのは久しぶり。先生方もどう対応したらいいか困ったこともあると思いますが、いろいろと工夫してくださってありがたかったです」。周囲の環境に恵まれ、無事に3年間で卒業できた。
2016年3月。いざジョッキーとしてデビューが決まると、状況は一変。女性というだけで過剰に耳目を集め、戸惑うことになった。
「16年ぶりのJRA女性ジョッキー誕生」
こんな見出しが派手に躍り、同期7人で飛び抜けて注目された。容姿もあいまって「美人ジョッキー」「アイドル騎手」という枕詞もついた。週刊誌やワイドショー、競馬の枠を飛び越えて関心の的に。勝っても負けても報道陣に囲まれ、何気ない発言や仕草も大きく報じられる。
デビューから数日で、プロ野球の始球式を任された。騎乗する競馬場は藤田目当ての観客が増加。地方競馬場でゼッケンが盗まれる騒動もあった。“菜七子フィーバー”と呼ばれた。渦中にいる純朴な18歳はカメラを向けられるたび、自然に笑うことができなくなっていた。
「何も実績を残したわけではないのに注目され、どうしたらいいか分かりませんでした。もちろん、注目していただけることは凄くありがたいことですが、そのたびに凄く不安で。注目に見合った活躍をして、期待に応えなければいけないプレッシャーは当時ありました」
ネットの声は見ないようにした。しかし、勝手に「被害妄想的にこうやって思われているんだろうな」と悩んだ。守ってくれたのは「根本先生」という。
競馬界は、調教師と騎手の師弟制度がある。デビューする見習い騎手は、茨城・美浦、滋賀・栗東という2つの調教施設に分かれ、受け入れ先の調教師が管理する厩舎に所属。管理馬の調教から厩舎の雑務までこなしながら、親代わりのように調教師からイロハを学んでいく。
藤田が所属したのは美浦の根本康広師。自身もG1を3勝した元ジョッキーである。そして、根本厩舎に所属する丸山元気、野中悠太郎という兄弟子の騎手2人も含め、彼らは女性であることを抜きにして、一人の見習い騎手として時に厳しく、時に温かく、藤田に接してくれた。
「根本先生もジョッキーをされていた当時の目線で経験を話してくださり、先輩方も1レース乗って帰ってくるたびに『もっとこうやって乗った方がいい』と教えてくださり、本当に気にかけていただきました。その分、めげていないで自分も頑張らなきゃと思わされました」