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「結婚も出産もしたいけど…」 パリ五輪参加の日本人女性レフェリー、笛を吹く裏にあった人生の選択

山田さんはホッケーの国際審判員として東京、パリの五輪2大会で笛を吹いた【写真:本人提供】
山田さんはホッケーの国際審判員として東京、パリの五輪2大会で笛を吹いた【写真:本人提供】

国際審判員を経験したことで「視野が広がった」

明井「ここにいる3人はみんな、国際審判員の資格は性別に関係ない、大会の審判団も男性の試合だろうと女性の試合だろうと、その時のベストのレフェリーを当てればいい、と考えていると思います。性差のない環境の実現には、もう少し時間はかかると思いますが、必ずできると思いますね。

 桑井さんは、今後はどのようなチャレンジを考えていますか?」

桑井「次のロス五輪で笛を吹くことは正直、考えていません。次は男子のプロの試合で笛を吹きたい。国内で言うとリーグワンです。

 まだリーグワンの試合を吹いた女性レフェリーがいないのですが、まずはその壁を越えて、その後に女性レフェリーが増えていく環境を作りたいという思いがあります。そしてその先は、15人制ラグビーでも世界的大会で笛を吹きたいです。15人制になると男性レフェリーでも、日本人が試合を担当するのが非常に難しいのですが、大きい目標としては2029年のワールドカップを目指します。先ほど述べたように結婚も出産もしたいので、オリンピックのような熱量とは少し違うかもしれませんが……」

明井「頼もしい!」

桑井「とはいえ、1年1年が勝負。まずは今年、リーグワンのパネルレフェリーを勝ち取るのが私のプランです」

山田「眩しいな。今日は桑井さんからいろいろ刺激を受けました。ホッケーは国内の審判員は定年がないのですが、私は国際審判員の引退(47歳の年の12月)と同時に辞めようと思っています。その後はアンパイアマネージャー(審判員の指導、評価を行う国際ホッケー連盟の仕事)になり、五輪で笛を吹く日本人の審判員を育てたいと考えています。

 それから引退まであと1、2年ありますが、それまでは若い審判員と同じ土俵で一緒に審判員の仕事を続けたい。ピッチ上で、同じ目線で伝えられるものを伝えきってから引退したいという気持ちです」

明井「お2人には大変申し訳ないのですが、バレーボールの審判員は走らない(苦笑)。それだけに、高いフィジカルのレベルを維持し、ピッチを走りながらジャッジもするという2人には尊敬の念しかありません。

 バレーの国際審判員ですが、数年前に55歳から60歳に定年が変更されましたが、山田さんと同じく、私も定年を迎える前に次世代にバトンを渡したいと考えています。1試合のジャッジを務めあげることは、体力的な面だけでなく精神的な負担も大きい。60歳まで自分のメンタルが維持できるかは正直、自信がありません。『よし頑張ろう!』と思ってくれた人に経験を伝え、協会の方たちとも協力しながら、国際審判員、そして五輪審判員のバトンを上手く繋いでいきたいですね」

バレーボールの国際審判員としてパリ五輪に参加した明井さん(右から2人目)。6試合で主審を務めた【写真:本人提供】
バレーボールの国際審判員としてパリ五輪に参加した明井さん(右から2人目)。6試合で主審を務めた【写真:本人提供】

――最後に審判員の魅力とやりがいを教えてください。

明井「学生時代からずっとバレーボールに携わっているので、まずはバレーという競技を支える一員であることにやりがいを感じます。また、審判員で本当に良かったと思うのは視野が広がったことです。審判員になったら日本各地に、国際審判員になったら世界中に知り合いができて、皆さんからすごく刺激を受けています。もし教員だけをやっていたら、もっと狭い視野で物事を見ていたと思います。人間として成長し、良い経験ができたことが、審判員になって何よりも良かったことですね」

山田「今、聞いていて『それそれ!』となりました。今日もお2人と話をしていても感じたのですが、審判をやっていたからこそ、こうやって異なる競技の方とも共感する部分が多いのだと思います。

 審判員は一生のうちに、2週間という大会でしか時間をともにしないこともあります、でも、彼らと話をすると共通の意識を持っていると分かるし、初めて会ったのに深く理解し合える。審判を通じてできた世界中の友達は、私にとって人生の宝ですね」

桑井「お2人にみんな言われました(笑)。まったく同じ思いです。今日、2人の先輩方の話を通じて感じた1つのことは、レフェリーは選手とは違う形で競技の魅力を伝えられる仕事だということです。

 やっぱり、良いレフェリーが入ることによって、試合がギュッと引き締まるし、そういうかっこいい存在でありたいから、私たちも鍛えるし、走る。レフェリーって憎まれ役の立場になったり、『ちょっと、やりたくないな』という印象を持たれますが、マイナスのイメージを変えていきたいですし、レフェリーの大切さ、そしてレフェリーもラグビーの1つの魅力だということを伝えていきたいです」

■明井寿枝(みょうい・すみえ)

 1973年1月17日生まれ、北海道出身。中学時代、バレーボール漫画『アタックNo.1』に影響されて入部。日本女子体育大2年時に選手としての限界を感じ、マネジャーに。大学の練習試合で初めて笛を吹く。97年から北海道で高校保健体育教諭となり、現在、石狩翔陽高で教壇に立ちバレーボール顧問を務める。2007年に国際審判員資格取得。18、22年の女子世界選手権、19年W杯、19、21、23年ネーションズリーグなどで審判員を歴任。五輪は21年東京大会、24年パリ大会に参加。パリ大会では6試合で主審を務めた。

■山田恵美(やまだ・えみ)

 1980年1月8日生まれ、長野県出身。小学生の時に兄の影響でホッケーを始める。山梨学院大3年時に国内B級審判員の資格を取得。2004年に国際審判員になる。4度の五輪(04年アテネ大会~16年リオデジャネイロ大会)で審判を務めた相馬千恵子氏の指導を受け、18年ロンドンW杯後、国際審判員の最高ランク『オリンピックパネル』に昇格。五輪は21年東京大会、24年パリ大会に参加し、パリ大会では4試合で主審を務めた。23年にはフル代表による国際試合を100試合経験した審判に国際ホッケー連盟から送られる、ゴールデンホイッスルを受賞(日本人として3人目)。

■桑井亜乃(くわい・あの)

 1989年10月20日生まれ、北海道出身。小学生から陸上を始め、帯広農業高2年時に円盤投げで国体5位入賞。中京大学まで陸上部に所属するが、大学卒業後の2012年にラグビーに転向。13年に7人制ラグビー女子日本代表として初キャップを刻むと、16年リオデジャネイロ五輪に出場し日本初のトライを決めた。21年8月に現役を引退し、レフェリーに転身。24年パリ五輪のマッチオフィシャル(審判団)23人の中に選出され、ラグビー界で初めて選手そして審判として五輪のピッチに立った。パリ大会では2試合を担当。7人制ラグビーの代表キャップ「31」。

※独立行政法人日本スポーツ振興センター競技強化支援事業

(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)


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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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