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「なでしこ世界一」の裏で電話番も経験 「社会人の30代って若い!」代表取締役の今に生きる実業団時代の学び――サッカー・阪口夢穂

引退後に実業団時代の経験が生きたという【写真:荒川祐史】
引退後に実業団時代の経験が生きたという【写真:荒川祐史】

引退後に生きた実業団時代の社会経験

 実家に戻ってから「しばらくフラフラしていた」と言うが、その間、油種のトレーラーの運転に必要な免許を取得した。実家に帰ることを決めたものの、手ぶらで家業に収まるのは「ちょっと違う気がしたから」という。

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「家業とはいえ、従業員からしたら『サッカーをやっていたのか何か知らんけど、いきなりポンって入ってきて』という感じじゃないですか。だから、必要な免許は全部取ろう。そうしたら、誰も文句は言わないだろうと思ったんです」

 この時、取得したのは、大型自動車免許、けん引免許、そして乙種第4類危険物取扱者免許。阪口さんの会社で運転手として雇っている従業員は、3点セットで必ず持っている、という免許だ。

「実際は、運転は私の仕事ではありません。『トラガール』なんて言葉があるけれど、うちの仕事は、石油やガソリンを運ぶタンクローリーの運転。まだまだ現場は男社会です」

 サッカー中心の生活から、運搬業という未知の業界で奔走する毎日へ。まったくの異業種への転身だが、実業団時代の社会経験が生きていると話す。

「私がプロ選手だったのは、WEリーグ(日本女子プロサッカーリーグ)開幕後の最後の1シーズンだけです。実業団時代は、午前は会社の仕事、午後はサッカーという生活を送っていた時期もありました。最初に所属していたTASAKIペルーレ(08年に活動休止。親会社は宝石加工・販売業のTASAKI)では、毎日ひたすら真珠の穴に糸を通す仕事を、日テレ・ベレーザ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ)では入団当初、広報部に配属され、岩清水梓(日テレ・東京ベレーザ)と横並びで座り、電話対応をしていました。

 重要なポジションを担う仕事ではありませんが、例えば社内外の人とのコミュニケーションの取り方なども当時学んだことの一つ。今思うと、実業団時代に社会を経験できて良かったと思います」

 実はサッカー界からのオファーは、いまだ絶えないという。しかし、「次はサッカー指導者に」というラブコールには、どこ吹く風と聞き流す。

「『指導者資格を取ったら?』と、めちゃめちゃ言われるので耳にタコができています(笑)。今、澤さんたちと、サッカー経験のない子どもたちと一緒に、体を動かすイベントなんかを時々やっているんです。ただ、遊びだからやっているのであって、教えるとなると話は変わってきます。

 W杯で優勝した選手だからといって、いい指導者になれるわけではなく、指導者になるためにきちんと学ぶことが必要。でも今は、勉強をしてまで指導者になりたいという気持ちは持っていないから」

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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