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月給5万円、チェコのプロ野球選手になった田久保賢植 覆された“野球後進国”の印象

チェコでプレーしていた当時の田久保さん。環境は整っていたという【写真:田久保賢植さん提供】
チェコでプレーしていた当時の田久保さん。環境は整っていたという【写真:田久保賢植さん提供】

チェコでの月給は5万円も…スタジアムやクラブハウスなど充実した環境

 小学3年生から始まった田久保さんの野球人生は挑戦の連続だった。野茂英雄に憧れ、高校時代に日本で行われたテストでモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)のパートタイムスカウトから評価され、米国に渡った。しかし、力勝負を挑むために行った筋トレが裏目に出て故障。アカデミーでリハビリを経て臨んだテストは不合格に終わり、帰国して大学野球の道に進んだ。

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 しかし、「アメリカナイズされていた」という田久保さんは、日本の練習法に馴染めず、価値観の相違もあって監督と衝突。中退後は「海外のほうがフィットするんじゃないか」とも思い、米国、日本、カナダと3か国のチームを転々とした。そんな中で一つの転機となったのが2006年、元中日・谷沢健一氏が設立した社会人野球クラブチーム・YBC柏への入団だった。

「カナダに行ってクビになった後は、もう野球を辞めようと思ったんです。そんな中でYBC柏に誘っていただきました。平日はサラリーマンとしてコピー機を扱う営業をやり、週末に野球をやる。サラリーマンをやって世の中の仕組みやお金の流れとかを知ることもできたし、貴重な期間でした。そういう時間の使い方をしていた時の方が、野球がうまくなっていたような感覚がありました」

 そこで新たな思いが芽生えた。「多くの人が『日本の野球は素晴らしい』と言うのに、どうしてそれを“輸出”しないんだろう、という思いがあったんです。日本の野球の素晴らしさを海外に伝達する人がいない。これこそが自分の役割なんじゃないのかと位置づけて、海外に出ていく必要があるんじゃないかと思ったんです」。この思いが、後に訪れるチェコ行きのオファーを受諾する背景となった。

 そうして初めて触れたチェコの野球。しかし、野球後進国というイメージは田久保さんの中でいい意味で壊された。エクストラリーガ(1部リーグ)は8チームで構成され、4月開幕のレギュラーシーズンは総当たりの5回戦制で35試合。8月のサマーブレークを挟み、9月からプレーオフが始まる。田久保さんが在籍したブルノはスタンド付きのスタジアムが整備され、クラブハウスも隣接。野球をする環境は整っていた。

 月給は日本円で約5万円。日本のプロ野球選手の年俸とは比べものにならない。しかし、ランチはスポンサーが経営するレストランで提供され、球団がパスを発行するため市内のトラムは無償。「住まいも球団がアパートを丸々借りてくれて、私はそこに米国の選手と2人でシェアしていました。だから、お金は全部使い切らないくらい」だったという。

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