表彰台の黒い手袋に衝撃「国際映像で絶対カットされない」 NHK実況アナが震えた五輪が4年に1度訪れる喜び
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
「シン・オリンピックのミカタ」#92 五輪担当の元NHKアナウンサー刈屋富士雄・後編
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
「伸身の新月面が抱く放物線は、栄光への架け橋だ!」。2004年アテネ五輪、28年ぶりとなる体操男子団体の金メダルはNHKアナウンサーだった刈屋富士雄さんの名実況もあって、今も語り継がれる名シーンとなった。刈屋さんは幼少の頃からオリンピックに魅せられた人であり、オリンピックの価値を問い続けた人でもある。後編はオリンピックを心から愛する元スポーツアナウンサーの物語――。(前後編の後編、取材・文=二宮 寿朗)
◇ ◇ ◇
1968年、刈屋が小学2年生のころにメキシコシティ五輪が開催された。ブラウン管に映るトップアスリートの輝きに8歳の少年は目を奪われ、心を躍らせた。
「陸上男子走り高跳びで金メダルを獲ったディック・フォスベリー。(主流だった)ベリーロールじゃなく、背面跳びというものを初めて見て“これは、凄い”と思いましたね。あと、陸上男子走り幅跳びのボブ・ビーモン。人の頭の上を越えていくようなジャンプで、記録した8メートル90は1991年に東京で行なわれた世界陸上でマイク・パウエルに破られるまでの世界記録でした」
だが一番の衝撃は、競技そのものではなかった。男子200メートル決勝で金メダルのトミー・スミスと銅メダルのジョン・カーロス(ともにアメリカ)が表彰台に上がり、国旗が掲揚されて国歌が流れると黒い手袋をつけて拳を突き上げたシーン。アメリカ国内の黒人差別に対する抗議であった。公民権法が制定されても差別はなくならず、事態は深刻化していた。
「まだ小学2年生ですから、どういう意味でスミスとカーロスが1対の手袋を分け合ってそうしたのか分からなかった、中学生になって、社会科の先生が教えてくれたんです。アメリカは自由で平等で、アメリカンドリームの国だって国際的にアピールしていた。ところが国内では人種差別が問題になっていて、それはスポーツの世界でも同じでした。彼ら選手たちはオリンピックをボイコットしようとしたのですが、その声は封じ込められ、ならばと国際放送で絶対にカットされないオリンピックの表彰台で国歌が流れるときに下を向いて拳を突き上げたのだ、と。人権、平等、こういったことが認められてこそ、あるいは確保されてこそのオリンピックだということを彼らは全世界にアピールしたんじゃないかなと感じました。
私も最初はオリンピックに出たいと思って陸上競技をやったんです。でも目指せるレベルではないなと悟ってその夢はすぐに断念して、オリンピックを近くで見ることができる仕事に就きたいと思うようになりました」
早稲田大学時代はボート部に入って早慶レガッタにも出場するスポーツマンだった。最初は通信社への就職を考えていたが、地上波で自分たちが中継されたことをきっかけにテレビ局への関心を高め、1983年にアナウンサーとしてNHKに入局する。“さあ、オリンピックだ”と胸を高鳴らせていたことは想像に難くない。