闘莉王が涙の引退会見で明かした「罪悪感」 22年間の日本生活の裏にあった“苦悩”
J2京都サンガの元日本代表DF田中マルクス闘莉王が1日、都内で記者会見を開き、引退を発表した。1998年にブラジルから日本に渡り、2001年に広島でプロデビュー。日本国籍を取得して日本代表としても活躍し、約22年もの間、日本を中心に生活してきた。引退会見では、その裏にあった知られざる苦悩も明かし、家族を思って涙を浮かべた
1998年にブラジルから日本へ「日本に恩返しをする、その一心で国籍を変えた」
J2京都サンガの元日本代表DF田中マルクス闘莉王が1日、都内で記者会見を開き、引退を発表した。1998年にブラジルから日本に渡り、2001年に広島でプロデビュー。日本国籍を取得して日本代表としても活躍し、約22年もの間、日本を中心に生活してきた。引退会見では、その裏にあった知られざる苦悩も明かし、家族を思って涙を浮かべた。
闘莉王は2003年に日本国籍を取得。引退会見では、当時の心境について「カタカナから漢字で『闘莉王』になるという風に決めたのは、やっぱり自分の心がブラジルではなく日本人の心になってるんだなと、そういうふうに感じて国籍を変えることにしました。その日の丸に対する思い、今まで支えてくれた人たちに対する思い、日本に恩返しをする、その一心で国籍を変え、インパクトを残さなきゃいけないなと(思った)」と明かした。
1998年1月に海を渡ってから約22年間、日本をベースに生活。当初は“異国”の地だった日本で支えになったのは、ブラジルに渡った日系移民の祖母からの助言だった。
「おばあちゃんもおじいちゃんも戦前にブラジルに移民として行ったわけで、98年の日本との違いがあまりにも多すぎて、環境的なアドバイスは正直、アテになることはあまりなかったです。でも、おばあちゃんにずっと言われていたことは、“日本人魂”、人に対するリスペクト、そういうところはブラジルとは違う、そういうところから学びなさい、とずっと言われてきました。本当に会うたびにそういうふうに言ってくれたことが、日本に来て少し僕も分かるようになり、僕も言葉を話すようになり、そのおばあちゃんの言葉の意味がどんどん膨らんでいった。もう3月で(日本に来て)22年になるのですが、“日本人魂”、人に対するリスペクトというのは、いればいるほど大切なものだなといううふうには感じます」
この言葉を胸に日本でサッカー選手としての地位を築き、日本代表も牽引。2010年の南アフリカW杯ではチームを16強に導くなど、日本サッカー界になくてはならない存在となっていった。ただ、その裏には知られざる苦悩もあった。
「22年も日本にいれば……自分には妹がいますが、年に1回くらい(ブラジルに)帰って、帰るたびに両親の歳の取り具合を見ると、妹に本当に任せきりだなと、すごく罪悪感を感じます。もう60歳を過ぎ、両親は200歳くらいまで生きてほしいんですが、それは不可能で、少しでもそばにいて、支えてやりたいなと思います。22年間も(日本に)いれば、最後を見届けれられないたくさんの人たちが本当にいたわけで、その苦しい思いっていうのは、本当に何をやっても取り戻せないので。(両親が)まだ元気なうちに帰って少しでも22年間いなかったことをできる限り取り戻したいなと思います。今まで『やめるぞ』ってお父さんには言ってきたんですけど、ずっと反対されてきた。でも、やっと『帰ってこい』と言ってくれたので、少しでも楽しい時間を過ごせるように時間をかけてやりたいなと思います」
家族への思いを明かしたときには、何度も言葉を詰まらせ、目元をハンカチで拭った闘将。今後については「まだ考えてないです。とりあえずブラジルに帰って、たくさんビールを飲んで、たくさん肉を食べて、10キロくらい太って、皆さんが少しでも笑ってくれるような姿を見せられればいいなと思ってます」と冗談交じりに話し、笑いを誘ったが、まずは家族とゆっくりと過ごすことになりそうだ。
(THE ANSWER編集部)