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男子ハンド日本が欧州強豪に大敗 露呈した「力の差」 エース藤坂尚輝「みな10分で疲れてしまった」

ハンドボール男子の国際親善試合最終戦が20日、東京・代々木第一体育館で行われ、日本代表が強豪パリ・サンジェルマン(PSG)に23-30で敗れた。日本はミスから相手の猛攻を許して前半を9-19で折り返し。フランスリーグ11連覇中の相手に力の差を見せつけられ、一昨年(24-39)、昨年(31-37)に続いて大敗を喫した。

日本代表のCB藤坂尚輝【写真:中戸川知世】
日本代表のCB藤坂尚輝【写真:中戸川知世】

パリ・サンジェルマン ハンドボールジャパンツアー2025

 ハンドボール男子の国際親善試合最終戦が20日、東京・代々木第一体育館で行われ、日本代表が強豪パリ・サンジェルマン(PSG)に23-30で敗れた。日本はミスから相手の猛攻を許して前半を9-19で折り返し。フランスリーグ11連覇中の相手に力の差を見せつけられ、一昨年(24-39)、昨年(31-37)に続いて大敗を喫した。

 スタンドを埋めた6566人のファンの歓声が、ため息に変わった。立ち上がり、23歳のCB藤坂尚輝(大同東海)が相手の意表を突くゴールで口火を切ると、若手が躍動して6-2と先行。ところが、日本のペースは続かなかった。

 ミスからボールを失い、5連続失点。6-7と逆転されると、その後は一方的に差を広げられた。トニー・ジローナ監督(52)は「スタートは良かったが、その後はミスもあって相手の勢いを止められなかった。ついていくのがやっと。力の差を感じた」と試合を振り返った。

 前日はジークスター東京が1点差の惜敗。日本代表も「プライドを持って勝ちに行った」と、前日に続いて出場したジークスターのGK岩下祐太(34)は話した。しかし、力の差は歴然。藤坂は「プレーの強度が国内の試合とは全然違った。みな10分で疲れてしまった」と明かした。

 相手の守備を崩せず、遠目から無理に打ったシュートは決まらない。守備の穴を突くパスを狙っても、連携が不十分でカットされる。高い壁に跳ね返され、ミスを連発。逆に相手には楽々とゴールを決められた。

 フィジカルの差も圧倒的だった。2メートル級5人を擁するPSGは平均身長194.9センチ。対する日本代表は最長身196センチのLB部井久アダム勇樹(26=ジークスター東京)がケガで欠場し、平均は182.0センチ。接触プレーでも相手のパワーに圧倒され、動きを封じられた。

 若さも露呈した。リーグHで2強の豊田合成とトヨタ車体の選手がチーム事情で出場せず、海外組もいない。34歳の岩下らベテランもいるとはいえ、大学生3人を含んで平均年齢は24.1歳。部井久の欠場で唯一のパリ五輪代表だった藤坂は「もっと経験を積まないと」と話した。

 急造チームで練習時間も限られた。新しい選手も多かったが、合宿も直前1週間だけ。PSGの司令塔、CBルック・スタインズ(30)は「代表はいろいろなクラブから集まってプレーするから難しい。日本代表はすぐれた選手がたくさんいるから、長い期間一緒にプレーすればチームとして良くなる」と準備不足に同情しながら話した。

 それでも後半、日本代表は見せ場をつくった。後半から出場したGK岩下が好セーブを連発。18本のシュートのうち11本を止め、60パーセントを超える驚異的なセーブ率を記録した。好守からペースをつかみ、藤坂の4連続ゴールなどで追い上げた。ジローナ監督も「試合は60分で判定するものだが、後半だけなら(14-11で)勝っていた」と後半のパフォーマンスには合格点をつけた。

 もっとも、後半のPSGは新シーズンに向けてGKを下げての7人攻撃をテストするなど、勝利を決めてギアを落としていたのは間違いない。藤坂は両チーム最多8得点でエースの意地をみせたが「後半持ち味は出せたが、遅すぎた」。悔しそうに「勝ち負けの世界なので、誰が何点取っても負けたらダメ。(8得点も)評価はできない」と言った。

 多くのファンの声援を受け、お祭りムードで行われた親善試合で、日本代表は厳しい現実を突きつけられた。ベストメンバーで戦うためのマッチメーク、日本代表選手の招集と強化、リーグHとの連携…。若い日本代表の完敗は、日本ハンドボール界全体の完敗でもある。

 ジローナ監督は「いい経験になったが、もっとレベルアップしないと。クラブでもレベルアップしてほしい」と、リーグHの各クラブに協力を求め「機会があれば、ヨーロッパで試合がしたい」と日本協会に訴えた。目標とするロサンゼルス五輪まで3年、突破を目指すアジア予選までは2年、強化の時間は決して多くない。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)


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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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