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「私ってどこまでやれるのだろう」 20年連続の競泳日本選手権で3冠、34歳鈴木聡美を支えた「休まない」の選択肢

水泳世界選手権代表に選ばれた(左から)飛び込みの三上紗也可、玉井陸斗、競泳の鈴木聡美、成田実生、松下和之、深沢大和、村佐達也【写真:編集部】
水泳世界選手権代表に選ばれた(左から)飛び込みの三上紗也可、玉井陸斗、競泳の鈴木聡美、成田実生、松下和之、深沢大和、村佐達也【写真:編集部】

「私には休むという選択肢はなかった」

 もっとも、鈴木は違う。拠点は山梨学院大の25メートルプールを変えず、入学以来、神田忠彦監督に師事してきた。成績が良くても悪くても、日々大学生と同じトレーニングをこなし、出られる試合に出続けてきた。「ただただ目の前の課題をクリアしていくこと。社会人になってからは常々そう思っています」と淡々と話した。

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「いろいろな選手がいるとは思うけれど、私には休むという選択肢はなかったですね」と自らの考えを語った。「休んだら戻れなくなる。そのままやめることになっちゃうんで」。先のことを考えずに、目の前の大会だけを、一つひとつこなしていく。それこそが、34歳になっても止まることをせず、進化し続けられる秘密なのかもしれない。

 81回大会から20年連続出場して迎えた第100回の日本選手権。3種目合わせた優勝回数は20回となり、85回大会で初めて手にしたメダルの総数は35個にもなる。もっとも本人は「数字だけ聞くとすごいですよね。周りからはどう見えているのだろう」と他人事のよう。日本選手権も「目の前の課題」の1つにすぎない。出場権を獲得して、世界選手権が新しい「目の前の課題」になった、というだけだった。

 13年前のアテネ五輪で200メートル銀、100メートル銅と2つのメダルを獲得しながら、過去4回出場した世界選手権ではメダルなし。それどころか、決勝進出も23年福岡大会の50メートル(7位)と100メートル(8位)が初めてだった。4歳で水泳を始めてから30年、一つひとつ課題をクリアしてきた鈴木は「13年ぶりの世界大会のメダル獲得」という新たな課題のクリアを目指す。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)


Seiko

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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