マラソン界に現れた新ヒロイン MGC優勝・鈴木優花は「かなりの潜在能力」と所属先監督が証言
陸上の2024年パリ五輪マラソン日本代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が15日、東京・国立競技場発着で行われた。男女とも上位2人が代表権を獲得(3位は選考対象選手に)。女子は鈴木優花が2時間24分9秒で優勝。一山麻緒が2時間24分43秒で2位に入り、パリ五輪代表に内定した。2時間24分50秒だった細田あいが3位に入った。
パリ五輪代表選考会
陸上の2024年パリ五輪マラソン日本代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が15日、東京・国立競技場発着で行われた。男女とも上位2人が代表権を獲得(3位は選考対象選手に)。女子は鈴木優花が2時間24分9秒で優勝。一山麻緒が2時間24分43秒で2位に入り、パリ五輪代表に内定した。2時間24分50秒だった細田あいが3位に入った。
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24人で争われた女子は中盤まで10人の集団を形成する展開。23キロ過ぎで一山麻緒が出て、細田あいがつくと、前田穂南ら後続を離して並走状態に。土砂降りの雨が降る中、折り返しの際に足を滑らせて転倒する選手もいたが、33キロ過ぎで一山が再び仕掛ける。一時は独走状態となったが、鈴木優花が猛追。38.4キロで一山を抜いて前に出た。そのまま逃げ切り優勝。一山が2位に入った。
同コースで先にフィニッシュした男子は小山直城が優勝、赤崎暁が2位でパリ五輪に内定。大迫傑が3位だった。東京五輪の代表選考会から始まったMGC。上位2人が一発勝負で決まり、残る3枠目はMGCファイナルチャレンジで設定記録(男子は2時間5分50秒、女子は2時間21分41秒)を破った記録最上位選手が選ばれる。破る選手が現れなければ、MGC3位選手が代表入りする。
鈴木は秋田・大曲高2年時にインターハイ3000メートル14位。3年時は予選止まりだったが、大東大で大ブレイクした。全日本大学女子駅伝では1年から3年連続区間賞(2区、3区、6区)、1年時の富士山女子駅伝では急坂を走る7区の区間新を打ち立てた。2年時にはユニバーシアードのハーフマラソンで金メダル。卒業前の22年3月の名古屋ウィメンズでマラソンデビューし、学生新の2時間25分2秒をマークした。
マラソン界に現れた新星・鈴木と第一生命の山下佐知子監督が会見に出席。主な一問一答は以下の通り。
――感想を。
鈴木「今回はMGC初出場でとても緊張はしていたけど、自分らしい冷静かつ大胆にという走りをしっかり実行した中で勝ち取ることができて嬉しく思う。ただ、ここはスタートラインに過ぎない。世界と戦うにはまだまだ差があるので、力を入れてパリに向けて1年間準備したい」
――五輪への想い。
鈴木「東京五輪は同級生の田中希実ちゃん、1つ下の廣中璃梨佳ちゃんとか同年代が活躍していた。自分は世界を目指す立場として、まだまだ低い位置にいると痛感した。本当にたどり着けるのかというネガティブなところも凄く出てきた中で見ていました。それが印象的です」
――そこから成長できた部分。
鈴木「ネガティブ思考から脱却して山下監督のマラソンの元で本当に、本当に勝負するために練習してきた。米国の合宿でも練習パートナーの後ろについて、とにかくやるしかないとひたすら前を追った。無心になることでこんなに練習を積み重ねられるんだと。積み重ねを今まで頑張ることができた。
一番変わったのは思考回路(笑)。大学の時から駅伝だと前を追っても、最初からガツガツ行って全員抜くくらいの気持ちだったけど、マラソンは全然違う競技。最初は身をひそめるくらいのレース運びを監督、スタッフからご指導いただきました。冷静さは大きく変わったと思います」
――監督へ、これまで多くの選手を見た中で鈴木選手の良さは。
山下氏「ポテンシャルの高さはこれまでの選手の中でもかなりのものがある。体づくりをしておけばある程度戦える。今日のところではそれが当たったのかなと。大学時代から凄く押していく能力がある。勇気がいるものですが、怖がらずに突破する。そのまま持ってしまう。持久力などは駅伝や1万メートルで感じていました。トラックでもこの練習でこの記録が出るの?とビックリしていました」
――名古屋で2本マラソンを走った。どちらも35キロ以降が課題と。強化した部分は。
鈴木「とにかくここまでの練習で30キロ、40キロ走は何回か積み重ねられた。練習期間はとにかく余裕がなく、常に息が上がっていた。30キロ以降でもここからだぞっていうところで余裕が持てていた。そこが後半の力強い走りに繋がったと思う。
ただ、あとは頭の中で何も考えないでとにかく一定のリズムと考えていました。それも含めて後半の勢いに繋がったのでは。雨の練習は米国でも全然当たっていない。監督と出発前に『ほとんどなかったね』って話をしていた。みんな条件は一緒。体を温めて、帽子を被る。アームウォーマーとか気を抜かずにできたことが対策になった」
――(瀬古利彦氏が質問)35キロ地点で何人かいて、後方で勝てると思っていたか。
鈴木「追いつけるとは思っていました。走っているときは無理に上げすぎても、ピタッと来るとおもっていた。そこの判断は間違えないように。前が落ちるというより、常に様子を見ていた感じです。追いつかれても、また上げられると思っていました」
(THE ANSWER編集部)