「勝つと本気で思っとる人は違うんよ」 優しさの仮面を被った鬼・森保一に久保竜彦は痺れた
システム変更に対応した選手たちの凄み「2トップ気味で変わったと思うんよ」
森保さんもそうやけど、対応した選手たちも凄かったよね。2トップ気味にしたよね。あれで変わったと思うんよ。
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本当にパッパッパッと(システムが)変わったよね。ポジションも変わったし。あれで対応できちゃう。伊東もね。あれだけいろいろ変えてもできるんじゃけえ、凄いよね。強い相手にも、それでもうまくやれば勝てる。それも、本チャンでね。今日は練習試合じゃないけんね、ただのAマッチじゃないけんね。
それで勝てるっちゅうのが、やっぱり日本の選手たちも(ステージが)一段は上がるよね、全員ね。
ドイツもやっぱり強かったよね。ペナ(ペナルティエリア)の中でも、なんぼでも回されたしね。ブラジルみたいに。ただ、最後が決まらなかっただけで。ペナの中でどんだけやれるかを見せるのが、やっぱり強豪というか、サッカーがうまいやつらのアレ。あそこで思い通りのプレーができて一番楽しいけんね。
それが、日本で何回できたって言ったら、1回だけよね。三笘が入って、堂安が決めて。浅野も決めたけど。でも、勝ちは勝ち。確かに質はアレやったかもしれんけど、今日はもう二の次よね。だって、W杯なんて一発勝負なんやから。
堂安も浅野も凄かった。ただ、ホンマに流れを変えたんは“アイツ”よね。遠藤が番犬に戻ったし、ホンマに効いとったから。
(後編の「『遠藤を“番犬”に戻したんは9番よね』 久保竜彦が『日本の肝』と呟いた大金星の立役者」に続く)
■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo
1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、コーヒー焙煎や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)