“無双ドリブラー”三笘薫が生まれた日 小6の司令塔に恩師が「全部抜け」と指示した理由
小6の三笘薫が中1相手にドリブルで抜いてゴール
当然、同学年同士の試合では、より簡単にゴールに結びつくパスを成功させる。
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「こりゃダメだ。つまらん」
そう思った髙﨑は、三笘に告げる。
「そこ全部抜いてゴールしろ。そのままじゃ、おまえの成長に繋がらない」
三笘は明らかに不服だった。
「ゴールが決まったのに、どうして抜かなきゃいけないの……」
6年時にはU-12の関東トレセンの一員として、中学1年生の関東の各都県選抜(J下部組織を除く)のリーグに参加したが、やはり簡単にパスを成功させていたので、ドリブルで抜くようにアドバイスした。
「最後はグシャッと潰されていましたけどね。それから薫は一層ドリブルで仕掛けるようになりました」
こうして小学6年生の三笘は、中学1年生を相手にドリブルを仕掛け、本当にゴールを決めてきた。
髙﨑は、三笘のことを「環境に染まりやすいタイプ」だと見ていた。学校訪問をすると「どこにいるのか分からない子」と評された。校長は「そんなに力があるのに目立たない。それも才能ですね」と笑っていた。
同学年の中に置くと、どうしても遊んでいるように楽なプレーに終始してしまう。
「だからいつも薫だけは、1学年上でやらせてきました。薫も(久保)建英に似た才能を持っていますが、違いがあるとすれば厳しい環境を与えないとやらないところがあった。逆に厳しい環境を与えれば、立ち位置を変えるなど工夫が成果としてすぐに表れるんです」
だから髙﨑は「早く上へ行け」と三笘の尻を叩き続けた。高校1年(ユース)の冬にはトップチームのキャンプにも参加し、中村憲剛が目を丸くして髙﨑に声をかけてきた。
「アイツ、なに? 1タッチで全部さばいて全然奪われないんだよね」
「そうなんだ、アイツ、それくらいできちゃうんだよね」
「アイツ、いいよね。でも、もっと仕掛けさせないともったいない。もっとできると思うよ」
すでに三笘は、ユース1年目でトップチームのプレッシャー下でも「ボールを失わないだけなら、なんでもできてしまう」(髙﨑)状態だった。