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“無双ドリブラー”三笘薫が生まれた日 小6の司令塔に恩師が「全部抜け」と指示した理由

サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)に臨む日本代表メンバー26人の中に、板倉滉(ボルシアMG)、三笘薫(ブライトン)、田中碧(デュッセルドルフ)、久保建英(レアル・ソシエダ)と川崎フロンターレU-12に所属した選手が4人も含まれている。中学、高校と進むにつれて数多の「天才」が消えていく厳しい世界で、同時に4人も名を連ねるのは簡単なことではない。川崎U-12はどのように才能を発掘し、伸ばしたのか。監督として少年時代の4人を指導した髙﨑康嗣氏(現・テゲバジャーロ宮崎監督)のインタビュー第3回は、三笘がドリブラーとして開花した軌跡を辿る。(取材・文=加部 究)

日本代表でドリブルを武器に躍動する三笘薫【写真:Getty Images】
日本代表でドリブルを武器に躍動する三笘薫【写真:Getty Images】

川崎U-12・高崎康嗣元監督インタビュー第3回、ボランチで輝いた小6の三笘薫

 サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)に臨む日本代表メンバー26人の中に、板倉滉(ボルシアMG)、三笘薫(ブライトン)、田中碧(デュッセルドルフ)、久保建英(レアル・ソシエダ)と川崎フロンターレU-12に所属した選手が4人も含まれている。中学、高校と進むにつれて数多の「天才」が消えていく厳しい世界で、同時に4人も名を連ねるのは簡単なことではない。川崎U-12はどのように才能を発掘し、伸ばしたのか。監督として少年時代の4人を指導した髙﨑康嗣氏(現・テゲバジャーロ宮崎監督)のインタビュー第3回は、三笘がドリブラーとして開花した軌跡を辿る。(取材・文=加部 究)

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 川崎フロンターレにU-12が創設され、1期生14人の合格者の中に3人だけ1学年下の選手が含まれた。そして、そのうちの1人が三笘薫だった。

 当時チームを指揮した髙﨑康嗣が振り返る。

「まだ小さくて華奢だったので、スタッフ内で議論を重ねた末に獲ったのですが、いざ獲ってみたら吸収力が抜きん出ていました。言われたことは、なんでも1回でやってしまう。だから、それが次の機会に繋がり成長が加速する。でも当時のジュニアは、みんな真面目でどんどん変化していきました」

 髙﨑は三笘に「普段見ていないところでも(サッカーを意識した行動を)やっているの?」と尋ねると、「やっている」と返ってきた。

「見ていないところで努力を継続できるタイプですが、この頃は努力している感覚はなかったでしょうね。とにかく他の子とは、全然見ているところが違う。相手に囲まれても1メートル四方のスペースがあればターンができるので、1タッチ、2タッチでスルーパスを出せてしまうんです」

 そこで髙﨑も、最初は三笘をボランチ系のポジションに配した。

「今でも最終的には真ん中ができるタイプだと見ています。何しろ当時の薫は、パス1本ですべてを打開してしまっていた。一方で、瞬間でかわせるスピードがあり、ギリギリで判断を変えられるテクニックも備えていました」

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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