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韓国代表の知っておきたい6つのこと 絶対的エースが直前に顔面骨折もメンバー入り【サッカーW杯】

サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会は現地11月20日に開幕する。W杯出場国の対戦国基本情報を「知っておきたい6つのこと」と題して紹介する。今回は日本の「永遠のライバル」、お隣韓国代表の基礎知識をお届けしよう。

韓国代表をけん引するソン・フンミン【写真:ロイター】
韓国代表をけん引するソン・フンミン【写真:ロイター】

 サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会は現地11月20日に開幕する。7大会連続出場となる日本代表は森保一監督のもと、過去最高成績のベスト16超えを目指し、4年に1度の大舞台に挑む。

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 32か国で争われる今大会。グループリーグでは、1グループに4か国が振り分けられ、総当たり戦で勝ち点の上位2か国が決勝トーナメントに進出。日本はグループEでドイツ、コスタリカ、スペインと同組に入った。ここでは、W杯出場国の基本情報を「知っておきたい6つのこと」と題して紹介。今回は日本の「永遠のライバル」で、クリスティアーノ・ロナウド擁するポルトガル代表と同じグループHに入ったお隣韓国代表の基礎知識をお届けしよう。
【グループHの日程、順位表はこちら】

    【目次】

  1. 招集メンバー
  2. 国の概要
  3. 伝説の名選手
  4. 代表チームの歴史
  5. 日本との関係
  6. 日本との過去の対戦

韓国代表の招集メンバー

GK
キム・スンギュ アルシャバブ
ソン・ボムグン 全北現代
チョ・ヒョヌ 蔚山現代
DF
キム・ミンジェ ナポリ
キム・ヨングォン 蔚山現代
クォン・ギョンウォン G大阪
チョ・ユミン 大田ハナシチズン
キム・ムンファン 全北現代
ユン・ジョンギュ FCソウル
キム・テファン 蔚山現代
キム・ジンス 全北現代
ホン・チョル 大邱FC
MF
チョン・ウヨン アルサッド
ソン・ジュンホ 山東泰山
ペク・スンホ 全北現代
ファン・インボム オリンピアコス
イ・ジェソン マインツ
クォン・チャンフン 金泉尚武
チョン・ウヨン フライブルク
イ・ガンイン マジョルカ
ナ・サンホ FCソウル
ソン・ミンギュ 全北現代
FW
ソン・フンミン トッテナム
ファン・ヒチャン ウォルバーハンプトン
ファン・ウィジョ オリンピアコス
チョ・ギュソン 全北現代


韓国代表の注目選手

ソン・フンミン(左)【写真:ロイター】


ソン・フンミン(FW/トッテナム/30歳)
 2021-22シーズンのプレミアリーグで23ゴールを奪い、アジア人史上初の得点王に輝いた韓国の絶対的エース。爆発的なスピードを武器に、15年に加入したトッテナムで年々決定力に磨きをかけ、イングランド代表FWハリー・ケインと絶妙な連係を見せている。また19年12月のバーンリー戦では相手7人をぶち抜く独走ドリブル弾を叩き込み、FIFAプスカシュ賞(年間最優秀ゴール)を受賞。大会直前に顔面を骨折し状態が心配されるが、アジアの枠を超えた世界的なスター選手の1人として、自身3度目のW杯に臨む。


ファン・ヒチャン(FW/ウォルバーハンプトン/26歳)
 屈強なフィジカルを生かして相手守備陣を攻略するアタッカーで、2015年から所属したオーストリアの強豪ザルツブルクで頭角を現した。当時は南野拓実とチームメートで、「チャンとはいつもドイツ語で冗談を言い合ったり、仲のいい友達です!」と南野がSNSに投稿するほど友情を育んでいた。プレミアリーグのウォルバーハンプトンで2年目を迎えた現在は、スタメン落ちの試合が多くなっているが、韓国代表の前線には不可欠な存在だ。

南野との2ショット


イ・ガンイン(MF/マジョルカ/21歳)
 久保建英と同じ2001年生まれで、11年にスペインへ渡りバレンシアの下部組織に所属。18年にリーガ・エスパニョーラ初出場を果たすと、翌19年のU-20W杯で韓国を準優勝に導き、大会MVPにあたるゴールデンボールを受賞した。昨年8月に移籍したマジョルカでは、少年時代からライバルとして比較されてきた久保との共闘が実現。韓国のA代表では地位を築けていないが、今季のリーガでは好調を維持しているだけに切り札として期待される。

少年時代に久保との貴重な2ショット


キム・ミンジェ(DF/ナポリ/26歳)
 190センチの屈強なセンターバックで、今夏トルコのフェネルバフチェからイタリアのナポリへ移籍すると、すぐに定位置を確保した。そして9月にはセリエA月間MVPを受賞。安定したプレーで首位を快走するチームを支える。韓国代表でも守備の要となっており、自身初のW杯の舞台で各国エースをいかに封じるか注目される。

韓国代表の監督

パウロ・ベント(53歳)
 現役時代はポルトガル代表で活躍し、2000年EURO、02年日韓W杯に出場。代表キャリアの最後は、日韓W杯グループリーグ敗退の屈辱を味わった韓国戦だった。10年から4年間、母国を率いて14年ブラジルW杯へ導くと、18年8月から韓国代表監督に就任。国内メディアから批判を浴びながらも着実にチームを作り上げ、すでに歴代最長の在任期間となっている。母国と同組になる因縁も含めて、激戦のグループに挑む。




韓国の概要

大韓民国
人口:約5,163万人(出典:2022年、韓国統計庁)
面積:約10万平方キロメートル
首都:ソウル
言語:韓国語

 日本の総人口は約1億2507万人(2022年5月、総務省)、面積は約37万8,000平方キロメートル。

(参照:外務省公式サイト)




韓国代表チームの歴史

2002年W杯準々決勝でスペインに勝利し歓喜する韓国代表【写真:Getty Images】


 1954年スイス大会に初参戦して以来、今回で通算11回目となるW杯出場数はアジア最多。長年にわたって「アジアサッカー界の盟主」であることを自負してきた。もっとも世界の壁は高く、2回目の出場となった86年メキシコW杯以降の4大会も、善戦するもののすべてグループリーグ敗退。歴史が大きく変わったのは、日本との共催となった2002年大会だった。

 オランダの名将フース・ヒディンクに率いられたチームは、グループリーグでポーランドとポルトガルに勝利する見事な戦いを見せて首位通過。決勝トーナメント1回戦のイタリア戦では、主審の微妙な判定が物議を醸したなかで、最後は延長後半に生まれたアン・ジョンファンのゴールデンゴールで2-1と勝利し、ベスト8に駒を進めた。

 そして準々決勝のスペイン戦でも、審判団が大きな注目を集める。スペインがゴールネットを揺らした場面では、直前のプレーでラインを越えていないボールが外に出ていたと判定されて取り消しに。最終的に韓国が0-0で迎えたPK戦を制し、アジア史上初のベスト4進出の快挙を達成したが、試合直後からスペイン側が審判団に猛抗議するなど後味の悪さも残した。

 その後、10年南アフリカ大会でもベスト16に進出。前回のロシア大会はグループリーグ敗退に終わったものの、強豪ドイツに2-0と勝利して世界を驚かせている。




韓国代表の歴代の名選手

 韓国人選手として最初に国外での名声を得たのが、1980年代にドイツ・ブンデスリーガで活躍したFWチャ・ボムグンだった。ダルムシュタット、フランクフルト、レバークーゼンと渡り歩き、通算98ゴールは現在も同リーグのアジア人最多得点記録。W杯出場は86年大会の1度で、監督として98年フランス大会出場に導いている。息子のチャ・ドゥリもドイツでプレーするなど、一時代を築いた選手だった。

 90年代から2000年代前半にかけて、韓国代表の象徴的存在だったのが、「アジア最高のリベロ」と言われたホン・ミョンボ。安定した守備と正確なフィード、そして前へボールを運ぶ力も備えており、W杯には90年イタリア大会から4大会連続出場。日韓W杯では抜群の統率力を発揮して、ベスト4進出の立役者となった。Jリーグのベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)と柏レイソルでもプレーし、日本との関係も深い。引退後は指導者の道へ進み、12年ロンドン五輪、14年ブラジルW杯で監督としてチームを率いている。

 そしてJリーグからW杯を経て、世界的アタッカーへと飛躍したのがパク・チソンだ。2000年に京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)でプロデビューすると、02年日韓W杯に韓国代表として出場。ベスト4進出に貢献する活躍を足がかりに、02-03シーズンからオランダのPSV、さらに05-06シーズンからはイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドでプレーした。豊富な運動量と万能性を武器に、数々のタイトル獲得に貢献。アジア人で最も成功を収めた選手の1人となった。

京都時代について語るパク・チソン




韓国と日本サッカーの関係

現役時代、横浜F・マリノスでプレーしたユ・サンチェル【写真:Getty Images】


 海を隔てた隣国であり、歴史的にも深い関係にある日本と韓国。サッカーにおいても「永遠のライバル」という部分がクローズアップされることで、代表同士でもクラブ同士でも、“日韓戦”は特別な意味を持つ試合になっている。

 もっとも過去を遡れば、日本が韓国にとって真のライバルと呼べる存在になったのは、Jリーグ開幕などで代表チームのレベルが上がった1990年代以降から。同時に前述したホン・ミョンボやパク・チソンをはじめ、両国選手の交流が活発になり始めた時期とも言えるだろう。

 Jリーグでこれまでプレーした韓国人選手は、ブラジルに次いで2番目に多い総勢307人に上る(参照:Jリーグ公式サイト)。93年の開幕当時、韓国代表として初めてJリーグでプレーしたのがサンフレッチェ広島のノ・ジョンユン。94年のサントリーステージ優勝に貢献するなど、両国サッカーの架け橋となる活躍を見せた。

 そして2002年の日韓W杯の前後には、韓国代表クラスの選手が続々と来日。1999年にセレッソ大阪でプレーして得点王を獲得したFWファン・ソンホン(柏にも在籍)のほか、GK以外の全ポジションでプレー可能だったユ・サンチョル(横浜F・マリノス、柏)、圧倒的な得点力を誇ったFWチェ・ヨンス(ジェフユナイテッド市原、京都、ジュビロ磐田)、日韓W杯の英雄となったアン・ジョンファン(清水エスパルス、横浜FM)らがJリーグの舞台で輝きを放った。

 彼らはJリーグ各クラブを支えるサポーターにとってかけがえのない存在であり、ピッチ外での交流もたびたび話題に。昨年6月、49歳の若さでこの世を去ったユ・サンチョルは、19年11月に膵臓癌で闘病中であることを告白。すると、かつて所属した横浜FMのサポーターが試合会場で激励の横断幕を掲げていたことを知り、翌20年2月のJリーグ開幕戦に病身を押して来日し、感謝の言葉を述べている。

 今回のカタールW杯メンバーにも、ガンバ大阪のDFクォン・ギョンウォンのほか、元Jリーガーが名を連ねている。GKキム・スンギュはヴィッセル神戸を経て、20年から今夏まで柏でプレー。DFキム・ジンスはアルビレックス新潟でデビュー、DFキム・ヨングォンはFC東京、大宮アルディージャにかつて在籍し、19年から昨季まではG大阪でプレーした。

 そして前線の軸として活躍が期待されるFWファン・ウィジョは、17年からG大阪で3シーズン活躍。在籍中の18年にアジア大会で得点王を獲得し、韓国代表での地位を確立すると、同年のJリーグで16ゴールを決めてベストイレブンに選出された。19年夏にボルドーへ移籍する際には、自身のインスタグラムでG大阪へ感謝の想いを綴っている。




韓国代表と日本代表の過去の対戦

 伝統のライバル対決は、かつて日韓定期戦が実施されていたこともあり、これまで国際Aマッチ78試合が行われ日本の15勝23分40敗(参照:『The Yearbook of JFA 2021』)。Jリーグが開幕し、日本サッカーのレベルが急速に上がった1993年以降だと、9勝10分9敗と五分の戦績となっている。

 名勝負として語り継がれている“日韓戦”は数多くある。まずは85年10月26日、国立競技場で行われたメキシコW杯予選。まだ日本サッカーがアマチュアだった時代、10番の木村和司が伝説の直接FK弾を叩き込むが1-2で敗れた。

 93年10月25日、カタールのドーハで開催されたアメリカW杯最終予選の第4戦でも激突。崖っぷちの日本はエースの三浦知良が決勝ゴールを決め、1試合を残して首位に浮上し、悲願のW杯出場に王手をかける。だが歴史的勝利の3日後、最終戦でイラクと対戦した日本は土壇場で同点ゴールを許して2-2の引き分け。W杯出場権を逃し、3位の韓国が逆転でアメリカ行きを決めた。

 4年後のフランスW杯最終予選でも両国は激突。97年9月28日、国立競技場での日韓戦は山口素弘の芸術的なループシュートで日本が先制したが、終盤にソ・ジョンウォン、イ・ミンソンに連続ゴールを許して悪夢の1-2逆転負け。その後、加茂周監督の更迭と岡田武史監督の就任を経て、敵地ソウルに乗り込んだ第9節のリターンマッチでは、前半に名波浩と呂比須ワグナーがゴールを決めた日本が2-0と勝利し、W杯初出場に望みをつないだ。

 2000年代に入ってからはW杯予選で戦ったことがなく、また両国とも欧州クラブ所属選手が増えたことでフルメンバーで戦う機会も減っている。そのなかでも10年南アフリカW杯直前に、埼玉スタジアムで日本が0-2と完敗した試合や、11年1月のアジアカップ準決勝の死闘(2-2、PK3-0で日本が勝利)、同年9月に札幌ドームで日本が3-0と完勝した試合など、随所で記憶に残る名勝負が繰り広げられている。


(THE ANSWER編集部)


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