村田諒太「総合力で上をいかれた」 世界最強ゴロフキンと激闘の9R「こんなラッキーな男いない」
ボクシングのWBAスーパー・IBF世界ミドル級王座統一戦が9日、さいたまスーパーアリーナで行われ、WBAスーパー王者・村田諒太(帝拳)がIBF王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)に9回2分11秒TKO負けで番狂わせはならなかった。興行規模が20億円を超える日本史上最大のビッグマッチ。下馬評では圧倒的不利だった村田は歴史的選手に敗れ、2度目の王座陥落を喫した。ゴロフキンは王座統一に成功(IBFは2度目の防衛)。戦績は36歳の村田が16勝3敗、40歳のゴロフキンが42勝1敗1分け。
ゴロフキンに脱帽、声援に感謝「皆さんが楽しんでくださったかどうか」
ボクシングのWBAスーパー・IBF世界ミドル級王座統一戦が9日、さいたまスーパーアリーナで行われ、WBAスーパー王者・村田諒太(帝拳)がIBF王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)に9回2分11秒TKO負けで番狂わせはならなかった。興行規模が20億円を超える日本史上最大のビッグマッチ。下馬評では圧倒的不利だった村田は歴史的選手に敗れ、2度目の王座陥落を喫した。ゴロフキンは王座統一に成功(IBFは2度目の防衛)。戦績は36歳の村田が16勝3敗、40歳のゴロフキンが42勝1敗1分け。
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どこかすがすがしい表情だった。激闘を戦い終えた村田は第一声、「皆さん、応援ありがとうございました」と言った。
「想像していたものと違うこと感じた。自分が思っていたより凄いなと思う点と、これは結構いけたなという点もある。でも、パンチの角度とか、総合力で上をいかれている気がした」
試合後、互いに拳を合わせ、抱き合ったゴロフキンを称えた。序盤はゴロフキンを攻めた。「僕がやった、やらないが大事かもしれないけど、皆さんが楽しんでくださったかどうかが大事なので」。そう言うと拍手が沸き起こった。
「こうやって拍手をいただけることすごくうれしく思う。まだわからないけけど、2人とも無事にリングから降りられる。神様に感謝したい」
日本ボクシング史上最大のビッグマッチ。「2年4か月、試合していなくて、ここでゴロフキン選手と試合できる、こんなラッキーな男はいない。デビューから追いかけてきた相手。こうやって皆さんから拍手をもらえることをうれしく思います」と感謝した。
1万5000枚超のチケットが用意された世紀の一戦は大いに盛り上がった。満員のファンが村田の勝利を信じ、入場から大きな声援を送った。日本人王者は精悍な顔つきで落ち着いた様子。一方、赤コーナーのゴロフキンが入場すると、会場の一部を陣取った30人ほどの外国人ファンがカザフスタン国旗を振った。
歴史的ゴングと同時に大歓声。宣言通り、村田は初回から前に出ることを試みた。ジャブで様子を見るゴロフキンに対し、鉄壁のガードを固めつつワンツー、ボディーを浴びせた。鈍い音が鳴り響く会場。凄まじい緊張感に包まれた。2回、ジャブを増やすゴロフキンに村田は左ボディー。右ボディーストレートを加え、重い拳を入れ続けた。被弾はするものの、目論み通り圧力をかけて下がらせた。
会場の大型ビジョンで村田が右ストレートを当てた瞬間が流れると、場内はどよめき。3回、攻勢を強めたゴロフキンに再三ボディーを効かせた。「チャンスや! 村田!」とファンも熱狂。ボディーを嫌がる絶対王者と打撃戦で渡り合った。4回、相手の左ジャブに顎を跳ね上げられたが、勇気を持って反撃。ロープに詰めて観客から「村田! 村田!」のコールを引き出した。
5回、左右の連打やアッパーを被弾。ラッシュを受けたが、決して下がらない。互いに顔が赤く腫れ、息詰まる熱戦。6、7回は、村田の受ける時間が長くなった。8回、右ストレート2連発を被弾。何度ロープを背負っても打ち返した。9回、連打によろけ始めたが、大歓声が背中を支えた。しかし、勇敢に反撃に出た時、最後は強烈な一撃をもらってプロ初ダウン。膝から崩れ、レフェリーが試合を止めた。
村田がずっと追い求めた強敵だった。ゴロフキンはミドル級歴代最多の通算21度の防衛を誇る歴史的スーパースターだ。世界タイの17戦連続KO防衛の記録を打ち立て、主要4団体のうち3つのベルトを統一。過去には、全17階級で体重差がなかった場合の実力をランキング化した「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」でも長く1位に君臨していた。
総額20億円を超える日本ボクシング史上最大の興行。日本人がゴロフキンと互いの王座を懸けて戦うこと自体が「奇跡」とされていた。当初は昨年12月29日に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期に。村田は過去2年、コロナ禍で試合ができず、19年12月の初防衛戦以来2年4か月ぶりのリング。ゴロフキンは20年12月以来1年4か月ぶりだった。
世界的に層が厚いミドル級。体格に恵まれないアジア人には縁のない領域だったが、切り拓いてきたのが村田だった。アマチュア時代の11年世界選手権で銀メダル。12年ロンドン五輪で金メダルに輝くと、プロ転向後の17年10月に世界王座を奪取した。2度目の防衛戦となった18年10月にロブ・ブラント(米国)に敗れたが、19年7月の再戦で王座奪還。数々の日本人初の偉業を成し遂げたが、生きるレジェンドに無念の敗北を喫した。
ゴロフキンは20年12月以来1年4か月ぶりの試合。今年9月には、過去1敗1分けの「カネロ」こと世界4階級制覇王者サウル・アルバレス(メキシコ)との3度目の対戦に向かうと海外メディアは伝えている。
(THE ANSWER編集部)