初心者だらけの部活からバレー日本代表に 少年少女へ、西田有志はYouTube時代に思う「画面の先にいる選手は…」
中学時代は初心者だらけの部活「部員は6人だけ。自分が教えるしかないな、と」
姉や兄の影響で始めたバレーボール人生。だから物心ついた時には体育館にいた。
年上に混ざっても最初は何もできなかったが、徐々にできるプレーが増えていく。その過程が楽しかった。
「3歳か4歳でバレーボールを始めて、少しずつ試合に出させてもらうようになってからは、点を取ることができる喜びやレシーブできる喜びを感じました。自分にできることが増えていくのがすごく楽しくて、バレーボールにのめり込んでいきました」
中学時代にはプレーヤーズコーチに似た立場で部の先頭に立った。顧問の先生にはバレーボールの経験がほぼ皆無で、誰かが指導しなければ強くなるのは難しかった。経験者の西田に自然とその役が回ってきた。
「自分が教えるしかないな、と。部員は6人だけで、僕の友だち5人のうち1人は少しだけバレーボールをかじったことがあるくらいで、他の4人は完全に初心者でした。そのチームをどうやって勝たせるか。小学校のクラブチームを見学して、どんな指導をしているのか学びに行きました。毎週のように顔を出して、球出しもしました。教わるというよりも、見よう見まねで吸収していくというか」
プレーしている最中は、瞬間瞬間を感覚で動けばいい。身長と跳躍力が秀でているのであれば、なおのこと。
だが周囲に伝える場合は、そうはいかない。言語化する重要性を痛感し、自分なりに学び、ひたすら考えた。その過程で、仲間とたくさん言い合った。価値観を押し付けた当時を回想して「傲慢でした」と苦笑するが、すべては青春時代の良き思い出であり、貴重な財産になっている。
過程を大切にするのが西田の身上だ。自信を持ってやり切ったと胸を張れるなら、結果が出なくても満足感を得られる場合だってある。