平昌メダル5個、東京は6位入賞のパラ選手 村岡桃佳の「ワガママを貫き通した」挑戦
両親も驚く負けず嫌い「自分に負けた気がして嫌」
小学3年生でチェアスキーと出会ったが、その前に励んでいたのがパラ陸上だった。中学2年生で本格的にチェアスキーに取り組み始めるまでは、パラ陸上の大会にも出場。その後も趣味程度ではあったというが、走ることは止めていなかった。そんな中、舞い込んだのが東京パラリンピック開催決定のニュース。パラスポーツ界最大の大会が自国で開催されるとなれば「出てみたい」と思うのは無理もない。
「私はただやりたいと思ったことをやっている、やらせてもらっている。ただそれだけなんですよね。たまたま結果として、誰も経験したことがないであろう半年間での夏冬挑戦、ということになっているだけなので」
「やりたい」という思いだけであれば、パラ陸上の本格トレーニングを開始した約1年後、全世界を巻き込んだコロナ禍に二刀流挑戦を諦めていたかもしれない。東京2020の開催が1年延期されたことでパラ陸上の準備期間は1年延びたが、東京終了後から北京までの準備期間はわずか半年に減ってしまった。
「延期が決まりましたっていう時に、スキーのことを一番に考えるのであれば、陸上競技を諦めるべきじゃないか、この挑戦をストップしてスキーに専念するべきじゃないかとも考えたんですけど、ただそれが自分の中でできなくて。陸上競技で東京を目指したいっていう気持ちをどうしても諦めきれず、私のワガママを貫き通した結果なんですよ」
そもそも、「自分自身が決めたことに関しては貫き通します。自分が言ったからにはやらなくちゃ」という意志の強さがある。その強さには家族も驚くほどだという。
「よく両親から『どうして、そう育ったの?』って言われるほどです(笑)。昔から負けず嫌いで、変なところでプライドが高い。なので、自分が言ったことはやりきらないと格好悪いと思っちゃうんですよね。自分に負けた気がして嫌だ、というのもあります。他の兄妹はそんなことなくて、私だけですね(笑)」
同じ「負けず嫌い」であっても、他人を比較対象とした「負けず嫌い」と、自分を対象とした「負けず嫌い」では少し性格を異にする。人として、より大きな成長がもたらされるのは後者だろう。
コロナ禍に負けず、そして自分自身に負けず、二刀流挑戦を続けた村岡が、パラアスリートとしてどんな成長を遂げたのか。その成果は北京の舞台で明らかになるはずだ。
(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)