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「くすんだ銀メダルを泣きながら磨いた」 孤立無援、天狗と揶揄され…涙と共に告白した28年前の名言の真実――マラソン・有森裕子

スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

アトランタ五輪で銅メダルを獲得した有森裕子さん、あの名言の裏には知られざる孤独と葛藤があった【写真:Getty Images】
アトランタ五輪で銅メダルを獲得した有森裕子さん、あの名言の裏には知られざる孤独と葛藤があった【写真:Getty Images】

「シン・オリンピックのミカタ」#99 連載「あのオリンピック選手は今」第7回・前編

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 五輪はこれまで数々の名場面を生んできた。日本人の記憶に今も深く刻まれるメダル獲得の瞬間や名言の主人公となったアスリートたちは、その後どのようなキャリアを歩んできたのか。連載「あのオリンピック選手は今」第7回は、女子マラソンで1992年バルセロナ五輪で銀メダル、96年アトランタ五輪で銅メダルを獲得した有森裕子。2大会連続のメダルという偉業を成し遂げた一方、当時を知る人の記憶に深く刻まれているのは、アトランタ五輪のレース直後に発した名言だ。果たして、その裏にはどんな想いがあったのか。28年の時を経て、涙ながらに当時を振り返った。(前後編の前編、取材・文=佐藤 俊)

 ◇ ◇ ◇

「自分で自分を褒めたいと思います」

 アスリートの言葉として、日本の五輪史上に残る名言である。

 女子マラソンの有森裕子が銀メダルを獲得した1992年バルセロナ五輪に続き、96年アトランタ五輪で銅メダルを獲得した時、涙ながらに語ったものだ。その真意はバルセロナ五輪後、故障などの大きな試練に打ち勝って2大会連続でメダルを獲った自分への労いの言葉だと捉えられていた。

「そうだったら良かったんですけど……」と当時を振り返りながら、そこへ至るまでの道のりを語り始めた。

 本格的に陸上を始めたのは岡山県の就実高校の時で、教師になる目標を抱いて日本体育大学に進学した。1年時、関東インカレ3000メートルで2位、3年時に全日本大学女子駅伝に出場し、区間賞を獲得した。だが、それ以外は高校時代を通じて全国レベルでの出場経験がなく、実績はほぼゼロの状態。卒業後は教師になるつもりでいたが、陸上への思いも断ち切れず、ある時、特別な準備をせずに出場した記録会で好タイムを出したことで、実業団行きを目指すようになる。

 もっとも大学で目立った実績のない選手が入れるような実業団などない。そんな時、知人から「リクルートに空きがある」との情報を得ると、ある大会に来ていた同社の関係者を見つけて直談判。小出義雄監督と千葉で直接会える機会も得て、「自分のやる気を見てほしい」とアピールしたが、反応は薄く99.9%難しいと感じていた。

 だが、その2日後に連絡が来る。

 当時、同社は「リクルート事件」(1988年に発覚、政財界の大物に子会社の未公開株を賄賂として譲渡した贈収賄事件)によって大きく揺れていた。人事担当者から連絡があった際にも、「我が社は大変な時期ですが、これを脱するには1人ひとりのやる気が大事。あなたはそれをお持ちなので、我が社のピンチをご自身のチャンスに変えてほしい」と言われており、まさに千載一遇のチャンスを掴む形で、有森は1989年にリクルートへ入社した。

「陸上は自分にとってライスワーク(ご飯を食べていくための仕事)。自分が生きるための手段、自分が自分であることを証明し、表現できる手段であり、一生懸命に頑張れるもの。頑張れる価値のあるものに全力で取り組めるところに、自分の価値があると思っていました」

 自らの意志を貫き、切り開いた実業団でのキャリア。だが周囲の選手よりも記録で劣るなかでは、当然チャンスは巡ってこない。自分が生きるためには、どうすればいいか――。その1つの答えとして見出したのが、マラソンへの挑戦だった。

 有森自身、以前はマラソンの選手たちが苦しそうに走る姿を見て、とてもやりたい競技には思えなかった。しかし、1988年ソウル五輪の女子マラソンで金メダルに輝いたロザ・モタ(ポルトガル)のゴールシーンを見て考えが変わっていた。

「モタが満面の笑みを浮かべてゴールしたんです。そのシーンがめちゃくちゃ好きで、本当に感動したんです。42キロも走ってきた後に、あれだけ喜べる、輝けるマラソンって凄いな。いつか私もマラソンをやって、自分が感動したように人が感動できる場に立てたらいいなという夢を抱くようになったんです」

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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