ジャッジの恩師にもらった「座右の銘」 逆輸入ドラフト候補、根岸辰昇が慶応高→米大学で遭遇した“現実”
日本人が珍しがられる南部へ…直視した米国の現実、命の危険も
ただ、根岸の大学1年目は新型コロナ禍でシーズンがキャンセルに。本領を発揮し始めるのは翌年だった。打率.447を残したが、短大は2年で卒業を迎える。まだ新型コロナ禍の影響が残る中で、プロのスカウトの目にもほとんど触れていなかった。NCAA(全米大学体育協会)1部で野球を続けたいと願った根岸は、所属する約300校のほとんどにメールを送り、ミドルテネシー州立大への編入をつかんだ。
ここでも主軸として実績を積むと、さらに2年が経ったところでノースカロライナA&T州立大へ転校した。NCAA1部の中でも最激戦区とされる米国南部にあり、黒人文化の色が強い学校だ。日本人は、いるだけで珍しがられるような環境にも順応し、大学最後のシーズンは51試合で打率.371、8本塁打、37打点、OPS1.065と大爆発。毎年のように大リーグのドラフト指名選手が出る学校でも、実力は全くひけを取らなかった。
現地で認められ、居場所をつかむまでの過程で、それほど苦労を感じたことはなかったという。英語は慶応高時代から得意な科目で、授業や野球で積極的に現地の生徒と関わる中で磨いていった。「よく日本の留学生は留学生同士で固まってしまうのですが、僕は日本人の友達をつくらなかった。コミュニケーションを大切にしたかったので」。こんな“覚悟”が支えになった。
米国での5年間を振り返ると「そこでしか経験できないことをちゃんと身につけて、すごく成長できたと思います。いろんな考え方を見て、適応力を高められた」と充実の言葉が口をつく。異色のキャリアを積んだ分の“リターン”は、しっかりあった。
グラウンドの外でも、日米の違いを感じさせられる日々だった。ミドルテネシー州立大に提出した卒業論文は「人種と性別による賃金格差-構造的な問題」というテーマ。日本では中々感じられない人種差別の現実も見た。さらに、命の危険を感じたこともある。
最後の1年を過ごしたノースカロライナA&T州立大は、キャンパスが治安の悪いエリアにあった。ある日登校すると30メートル先から銃口を向けられているのに気づき、猛ダッシュで逃げた。また、エンゼルスの赤いTシャツ姿でいると「ここでは着てはいけないよ」と言われたこともある。ギャングの“縄張り”の一つが赤を目印にしており、他のグループから標的にされるためだった。「それからは赤も青も黄色も、いろいろな色のものを身につけてわからないようにしました」。肝の据わった行動も、一つの信念に基づいている。
「自分には野球があるので。一人でも大丈夫です」
大リーガーになるために必要なものを取捨選択し、野球でもそれ以外でも貴重な経験を積んできた根岸。生まれ育った日本のプロ野球でチャンスを得られれば、周囲にも大きな影響を与えるに違いない。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)