15歳で単身渡米を決断 深夜のお好み焼き屋、最強ボクサー中谷潤人が両親に告げた進路選択
「お前、誰なの?」 渡米後に向けられた視線「ボクシングで見せるしかなかった」
周りは当たり前のように受験勉強で机に向かう中、夢への近道と捉えた。最初は驚いた両親も快く後押し。会長のツテを頼りに単身ロサンゼルスへ飛んだ。当然、文化も言葉も違う未知の世界。しかし、15歳の心は不安より「ワクワク」が上回った。
現在も師事するルディ・エルナンデストレーナーに出会い、住み込みでボクシングに励んだ。タイトル保持者や世界ランカーなどの猛者が集まる本場のジム。「お前、誰なの?」。すでに出来上がっていたコミュニティーから向けられる視線が疎外感を生んだ。
「周りは『なんか日本人が来たな』という感覚。最初はやっぱりホームシックになった。でも、ボクシングで見せるしかなかった」
逃げ場はない。逃げる気もない。出会った奴らと拳を交え、とにかく実戦練習の多い日々を送った。「やっぱり刺激的。緊張感は毎日あった」。拳で実力を認めさせ、自然と仲間ができていった。
米国の食に抵抗はなかったが、トレーナーの自宅があった「サウス・セントラル」の治安は最悪。貧困率が高く、銃犯罪などギャングの抗争が相次ぐ地域とされていた。
渡米直後、「何もわからず」とロードワークで外出。気づけば路上にはテントがたくさん張られていた。「ちょっと雰囲気が違うなぁ」。ホームレスや麻薬中毒者が住む「スキッド・ロウ」という地域に入り込んでいた。「焚き火をしている人もいたりして」。今では笑って話せるが、そんな環境が逞しくさせた。
日本では得られないものがある。だから、今でもロサンゼルスで合宿をする。若くして豊富な技術が身につき、物怖じしない精神が磨かれた。今年2月に世界3階級制覇を達成。石井会長の果たせなかった夢を叶えた。課題をクリアしていく楽しさは、恩師のミットにパンチを打ち込んだ当時と変わらない。