「日本ラグビーに何かしろ」 そう言う前に海を渡った堀江翔太の決め事「まず自分が成長せんと」
「日本ラグビーに何かしろよって言う前に…その思いでずっとやってきた」
「僕は必死すぎて『チームを引っ張ったろ』みたいな感じではなかった。スーパーラグビーに行ったのも『まずは自分が成長せんと』と思ったから。成長せんと、絶対に周りに良い影響を及ぼせない。『日本ラグビーに何かしろよ』って周りに言う前に、まずは自分が成長せんとそれは絶対にできない。
その思いでずっとやってきた。そこらへんがチームのためになっていたら嬉しいなって。全く自分のおかげとか思ってないです」
世界で得た経験を後輩たちに惜しげもなく伝えた。
遠征以外で海外に行ったことはない。家族旅行中も「いつ練習を入れようかな」と常に頭のどこかにあった。全力で駆け抜け、人生を捧げてきたからこそ笑って言い切れる。「本当に悔いのないラグビー人生。生まれ変わってもラグビーしません」
15年に首を手術するなど怪我は付きもの。それでも壁を乗り越え、W杯出場まで復活できたのは、30歳で出会った佐藤義人トレーナーから怪我をしにくい体づくりを学んだから。「もっと早く知っておけば怪我もなく、いいパフォーマンスを出せる選手がたくさんできる。それをいろんなスポーツ選手に伝えていきたい」。次の役割は明確だ。
「次のステージで自分がどう成長できるか。これから社会の荒波に揉まれると思う。ラグビーでは経歴が凄いかもしれないですけど、社会に出たら全然関係ない。そこらへんはしっかり自分を見つめ直して、変に偉そうにならずいろいろ勉強しながらいきたい」
この日、ドレッドヘアーのカツラを被って盛り立てるファンもいた。最後の雄姿を届けた国立。痛恨のスローフォワードで優勝は遠のいた。ただ、直後のスクラムで相手の反則を誘い、土壇場で逆転の望みを繋いだのは唯一無二の経験がなせる業。
埼玉でも、日本代表でも同じHOでポジションを争い、背中を追った30歳の坂手が試合後に放った言葉はラスボスの凄みを表していた。
「若い頃は『経験ってなんやねん』って思っていた。でも、あの経験はチームに必要。それを必要なタイミングで伝えてくれるのは大きな存在だった」
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○…堀江の国内最終戦は終わり、今後は埼玉のロビー・ディーンズHCが指揮を執るバーバリアンズの一員として6月22日のフィジー戦(英トゥイッケナム)にも招集される予定。現役最終戦になる見通しだが、「(HCに)ほとんど出なくていいよって言うてます。僕なんて戦力になってないでしょ。凄く光栄なことですが、凄い選手たちにおんぶに抱っこかなと思います」と笑った。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)