目を吊り上げ笑われたアジア人差別 日本では知らない世界を知った羽根田卓也の海外生活
スポーツ界を代表するアスリート、指導者らを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る連載「THE ANSWER スペシャリスト論」。カヌーのリオ五輪銅メダリスト・羽根田卓也(ミキハウス)は18歳で単身、カヌーの強豪スロバキアに渡り、日本で自らスポンサー営業も行うなど、競技の第一人者として道を切り開いてきた経験や価値観を次世代に伝える。
「THE ANSWER スペシャリスト論」カヌー・羽根田卓也
スポーツ界を代表するアスリート、指導者らを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る連載「THE ANSWER スペシャリスト論」。カヌーのリオ五輪銅メダリスト・羽根田卓也(ミキハウス)は18歳で単身、カヌーの強豪スロバキアに渡り、日本で自らスポンサー営業も行うなど、競技の第一人者として道を切り開いてきた経験や価値観を次世代に伝える。
今回のテーマは「スポーツの海外挑戦と語学」後編。海外留学・挑戦が身近になったスポーツ界。08年北京五輪出場後、スロバキアの国立最難関・コメニウス大学に21歳で入学し、同校の大学院も修了した羽根田。日本では知らない海外文化を体験し、アジア人差別なども味わったという。そうした経験から培った価値観を明かし、将来的に海外留学を考える次世代にアドバイスを送った。(聞き手=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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――羽根田選手は18歳で単身スロバキアに渡ったわけですが、ホームシックはなかったのでしょうか?
「最初の2、3週間くらいですね。知り合いがいない、友達がいない、勝手が分からない時は不安というか寂しくて、ホームシックになりました」
――前編では、気を抜いていると何かを盗られたり、道端で急に汚い言葉で罵られたりしたことがあり、「豊かな日本で育った自分には知らない世界」と出会ったそうですが、文化の違いからネガティブな経験もあります。例えば、差別のようなものも避けて通れないものかもしれません。
「差別かどうかは分かりませんが、街を歩いていたら子供たちが笑いに来ることがありました。あとは所属していたカヌーのクラブチーム内で、からかい半分で目を吊り上げてくることもありました。目が細いことが面白いらしくて。冗談でやられましたが、最初は気分は良くなかったです。でも、アジア人に対するブラックジョークみたいなものが、割と当たり前なんです。スロバキアではまだそういうことが普通にありました。最初はそういう文化も知らなかったので、そんなことをするのか、そんな国なのかと思いました」
――しかし、そうした経験もカヌーで成功したい想いがあれば、大きなことではなかった。
「そんなのは僕にとっては意に介すものではなかったです。差別ひとつで日本に帰るなんて、そんな覚悟でスロバキアに行ってなかったので。でも、そういう目に遭った時に凄く思ったのは、自分の常識に当てはめたらダメなんだということ。それが海外で暮らすということだし、彼らの文化を知るということ。なので、そこはスロバキア語を覚えていて良かったです。スロバキア語で意思疎通が図れないと、彼らの文化さえ分からない。
なんとなく暮らして、片言の英語しか話せない。彼らのことを知らない、コミュニティに入れない。そんな状態で、そんなことをされると『そんな国はありえない』『俺には合わない国だ』と思ってしまうかもしれない。僕は彼らの生活にがっつり入った上で受けたものだったので、ジョークの感じも分かったし、ヨーロッパにまだブラックユーモアが色濃く残っていると理解できた。そういう意味でも視野を広げることが大事です」