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海外留学で「言葉の壁」に悩む若い世代へ スロバキアで暮らした羽根田卓也の語学習得術

最初の半年は常にメモ帳をポケットに入れて語学を学んでいった羽根田【写真:荒川祐史】
最初の半年は常にメモ帳をポケットに入れて語学を学んでいった羽根田【写真:荒川祐史】

実践した語学習得法「最初の半年から1年は常にメモ帳をポケットに」

――海外挑戦でネックになるのが語学です。羽根田選手は21歳でスロバキアの最難関大学コメニウス大学に進学。前回のインタビューでは、現地人が聞いてもわからないような授業をスロバキア語で聞き、理解できない部分は教授室に出向いたり、同級生にランチを奢って教えてもらったり、自分の行動ひとつで困難を乗り越えました。そうした苦労もあり、今は海外留学を考える若い子に「言葉の壁が……」という悩みを受けると、「言葉の壁なんて、どこにもない。壁を作っているのは君だよ」と伝えているそうですが、もともとスロバキアに渡った直後は語学をどう習得したのですか?

「まずは挨拶を教えてもらいました。そして、すべてメモする。最初の半年から1年くらいは常にメモ帳をポケットに突っ込んで持ち歩きました。『こんにちは』『元気ですか?』『乾杯』まで、頻繁に使う挨拶を覚えていく。次は英語で言う『I want』など使いやすい文法を聞いたままのカタカナで書いて、そのまま口にして使ってみる。その次は彼らの会話から、よく聞こえてくる単語を拾ってみる。いろんなところで『ポトン、ポトン』と言っているから、何なのかを聞いたら『またあとで』『じゃあね』と。ああ、そういう意味なんだ、これは自分も使えると幅が広がっていきます」

――サッカーの長友佑都選手は下ネタを織り交ぜながら打ち解けたというエピソードも有名です。

「それは海外に行った日本人の宿命です(笑)。そういう言葉を教えられるもの。もう避けて通れない道なんです。でも、そういうことを言って笑われたりしながら、失敗談になって仲良くなる。そういう意味では必要なことかもしれません」

――スロバキア語で不自由しなくなったのはいつ頃からでしょうか。

「英語を使わなくていいようになったのは1年半くらいです。最初の半年や1年くらいは英語の方が伝わりやすいこともありましたが、1年半から2年くらい経つと、スロバキア語の方が話せるようになってくる。仮に通じなくてもスロバキア語で頑張れてしまう。スロバキア語で言い回しを変えるように努力したり、向こうがスロバキア語で僕にわかるように伝えてくれたり、そこからはもうメキメキと自分が喋れば喋るほど上達していきます」

(5月1日掲載の後編へ続く)

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)

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羽根田 卓也

リオ五輪カヌー銅メダリスト THE ANSWER スペシャリスト

1987年7月17日生まれ。愛知・豊田市出身。ミキハウス所属。元カヌー選手だった父の影響で9歳から競技を始める。杜若高(愛知)3年で日本選手権優勝。卒業後にカヌーの強豪スロバキアに単身渡り、スロバキア国立コメニウス大卒業、コメニウス大学院修了。21歳で出場した2008年北京五輪は予選14位、2012年ロンドン五輪は7位入賞、2016年リオ五輪で日本人初の銅メダル獲得。以降、「ハネタク」の愛称で広く知られる存在に。東京五輪は10位。2022年1月、パリ五輪を目指し、現役続行することを表明した。175センチ、70キロ。

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