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松井大輔が忘れもしない15歳の冬 海外挑戦か高校進学か、揺れた「1/2の選択」

サッカー元日本代表MF松井大輔。希代のテクニシャンとして、その技術を武器に日本のみならず、フランス、ポーランド、ブルガリアと海外を渡り歩き、38歳となった今なお、Jリーグのピッチを走り続ける。そんな男がこのほど、「THE ANSWER」のインタビューに応じ、自身のキャリアからサッカー哲学まで、独自の思いを語り尽くした。

松井大輔にとって「15歳の冬」がターニングポイントになった【写真:小倉元司】
松井大輔にとって「15歳の冬」がターニングポイントになった【写真:小倉元司】

松井大輔インタビューvol.2―今、振り返る15歳の冬に訪れた進路選択

 サッカー元日本代表MF松井大輔。希代のテクニシャンとして、その技術を武器に日本のみならず、フランス、ポーランド、ブルガリアと海外を渡り歩き、38歳となった今なお、Jリーグのピッチを走り続ける。そんな男がこのほど、「THE ANSWER」のインタビューに応じ、自身のキャリアからサッカー哲学まで、独自の思いを語り尽くした。

 全3回に分けてお届けする第2回のテーマは「15歳の進路選択」について――。

 ◇ ◇ ◇

 松井大輔にとっての最初のターニングポイントは、思いのほか早く訪れた。

 忘れもしない15歳の冬。すでに関西地区で将来を嘱望される存在として注目されていた松井は、フランスの名門パリ・サンジェルマンに練習参加する機会を得た。父親とともに渡欧し、自分と同世代にあたる15歳以下のグループに混ざって自慢のテクニックを披露した。

「もともとサッカー留学したいという希望を持っていて、周囲の協力のおかげで叶ったんです。サッカーの技術に関して大きな問題はなかったけど、やはり言語の壁は大きいと感じました。フランス語がまったく話せないし、英語も喋れない。ボールを持つ以外で自分を表現するのは難しかったです」

 それでも、ようやく憧れの地に足を踏み入れた15歳の少年である。松井自身には欧州の地でチャレンジしたいという欲も少なからずあった。

 一方で、この当時から松井は物事を俯瞰して考える術を心得ていた。最終的に進学を後押ししたのは父親だったが、この決断にわだかまりは一切ない。

「もちろんフランスに行きたい気持ちはありましたよ。でも最後の判断は親に任せました。僕はまだ15歳の子どもだったので、すべてを理解して冷静に決めることが難しい。だから自分をしっかり導いてくれた親や指導者には、本当に感謝しています」

南アフリカW杯では日本のベスト16進出に大きく貢献【写真:Getty Images】
南アフリカW杯では日本のベスト16進出に大きく貢献【写真:Getty Images】

 翌春、生まれ育った京都を離れ、高校サッカーの名門・鹿児島実業高校へ進学する。故・松澤隆司監督にフィジカルやメンタルを徹底的に鍛え上げられることで、テクニックだけに頼らずプレースタイルを広げていった。

 3年後には京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)でプロキャリアをスタートさせ、2004年のアテネ五輪に出場。その直後、海外留学から年月を経てフランスリーグへ。サッカーの本場で心身ともに成長した松井は、2010年の南アフリカW杯で日本のベスト16進出に大きく貢献した。

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