エリート選手が「レールを外れる」選択 米国挑戦した早慶出身2人はなぜ応援されたのか
レールを飛び出すタイミングはいつでもいい、自分の可能性を閉ざさずに
内田「カッコいいなあ。自分は中学校まで公立。早実の後は進路を自分で決めたことがあまりない。そのまま大学に進んで、プロに行きたかったけど、3年で怪我をした。ENEOSにしたのは1年生の頃から熱心に誘ってもらい、企業規模で見ても大きかったこと。今回はもしかしたら人生初めてくらいの挑戦になる。今まで身についてきた知識、考え方から今の自分が何をすべきか。25歳の年は一生に一度しかなくてメリット、デメリットを自分の中で考えたつもりだし、これをしないと一生後悔すると思った。逆に言うと、今まではレールに乗っていたので今までは考える力がなかったけど、しっかりしたレールだったから身についたものもある」
谷田「レールを飛び出すタイミングはいつでもいいと思う。逆にスポーツだけの学校である日突然、勉強したいと思ってやり始めて、勉強しながら野球を一生懸命やっても全然遅くない。思い立って、こうなりたいと思ったタイミングで動いてみるのがいいと思う。知り合いのスポーツ選手も『したいけど、勉強できないし』と言う選手が多いけど、今からやっても遅くない。やりたいことがあるなら、絶対にやってみればいい。自分の可能性を閉ざさない方がいいと思う」
内田「大学で勉強しておけば良かったと絶対思うけど、それはなかなか難しい。だから社会人になって大学院に入る友人もいる」
谷田「めっちゃ思う。なんで大学の時に気づけないんだろう。その道を究めた教授がたくさんいるのに、なぜ受けなかったのか」
――その時点で何が重要かどうか判断することは難しい側面もある。
内田「ホント、そう。だから今回、経験したいと思ったんだよね。向こうに行って経験しなきゃわからないって。今思うと大学にいい授業いっぱいあったんだろうなと思う」
谷田「でも、その時に(勉強を)やっていた人間もいる。そういう人たちに今から勝ちに行きたい。そういう人たちと戦い、対等に仕事をするには、やってなかった分を取り返すくらい勉強して追いつけたら、米国に挑戦したり、野球してきたりした分がアドバンテージになる。慶応高校に入った時もスポーツクラスがなかったので、受験勉強をしてきた友達に勝つことは難しくて一生懸命にやっていた。でも、その分、野球で追いつかれるわけはないとも思っていた。どの世界でも積み上げていくことが大事かな」
(続く)
◇内田 聖人(うちだ・きよひと)
1994年3月1日、静岡・伊東市生まれ。25歳。伊東シニアで日本一を経験。早実高2年夏に甲子園出場し、背番号1を着けた3年夏は西東京大会で高山俊(現阪神)、横尾俊建(現日本ハム)らを擁する日大三に2失点完投も準V。早大では1年春に大学日本一を経験したが、3年時に右肘を故障。社会人野球JX-ENEOSに進んだが、故障の影響もあり2年で戦力外に。以降は社業に就き、天然ガスの営業マンを務める傍ら、個人で1年間トレーニングに励んで復調。今年2月から1か月間、米国でトライアウトに挑戦し、2Aクラスの独立リーグ・キャナムリーグのニュージャージー・ジャッカルズと契約。会社を退社し、NPB、MLBに挑戦する。右投右打。
◇谷田 成吾(やだ・せいご)
1993年5月25日、埼玉・川口市生まれ。25歳。東練馬リトルシニアから慶応高に進学。通算76本塁打を放った。甲子園出場なし。慶大ではリーグ戦通算15本塁打をマーク。4年秋にドラフト指名漏れを味わい、社会人野球のJX-ENEOS入り。高校、大学、社会人すべてのカテゴリーで日本代表を経験した。社会人3年目の18年3月に退社し、MLBトライアウトに挑戦。複数球団の調査を受けたが、契約に至らず。帰国後は四国IL徳島でプレー。昨秋のドラフト会議で指名ならず、引退した。一般企業20社以上から興味を示されたが、今年1月にIT企業「ショーケース・ティービー(現ショーケース)」入社。WEBマーケティングを担う。右投左打。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)