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「クビと言われたらそれまで」 ひと月45万円で飛び込んだ台湾プロ野球 武藤幸司が異色経歴でつかんだ“財産”

今季、NPBを経験せずに台湾、韓国とアジアのプロ野球に身を投じる選手が相次いでいる。ただこの動きは、約四半世紀前にもあった。プロ野球の西武で査定チーフを務める武藤幸司さんは九州産業大を卒業した2000年、日本でのプロ経験なしで台湾プロ野球入り。2年目には13勝を挙げるなど主力投手として活躍した。“助っ人”として駆け抜けた3シーズン、そして26歳にして大学日本代表入りした異色の経歴まで振り返ってくれた。(取材・文=THE ANSWER編集部 羽鳥慶太)

現役時代の写真を手に、台湾時代を振り返る武藤さん【写真:羽鳥慶太】
現役時代の写真を手に、台湾時代を振り返る武藤さん【写真:羽鳥慶太】

24年前、NPBを経験せず台湾プロ野球に飛び込んだ武藤幸司さん

 今季、NPBを経験せずに台湾、韓国とアジアのプロ野球に身を投じる選手が相次いでいる。ただこの動きは、約四半世紀前にもあった。プロ野球の西武で査定チーフを務める武藤幸司さんは九州産業大を卒業した2000年、日本でのプロ経験なしで台湾プロ野球入り。2年目には13勝を挙げるなど主力投手として活躍した。“助っ人”として駆け抜けた3シーズン、そして26歳にして大学日本代表入りした異色の経歴まで振り返ってくれた。(取材・文=THE ANSWER編集部 羽鳥慶太)

「プロ野球」を目指す新たなルートが、できるかもしれない。

 昨季まで独立のBCリーグ・埼玉武蔵でプレーした小野寺賢人投手は今季、台湾プロ野球の新球団・台鋼ホークスで序盤、先発陣の一角を担った。また四国アイランドリーグ・徳島の白川恵翔投手は、負傷した元メジャー左腕の代替選手として、6週間限定で韓国プロ野球のSSGランダーズ入りし初登板初勝利。その後は斗山ベアーズに移籍して投げ続けている。各国と比べた時の日本球界の厚みを考えれば、レベルの高い“NPB未経験”投手が海外から注目されてもおかしくない。

 実は四半世紀前に、同じような道を歩んだのが武藤さんだ。九産大時代の1999年には大学日本代表候補にも選ばれた右腕。ドラフト候補とも報じられたが日本でのプロ入りはかなわず、台湾に渡った。3シーズンに渡る大活躍の後、西武の球団スタッフとなり、現在は選手の年俸評価に関わる査定チーフを務めている。

 武藤さんが初めて台湾に渡ったのは2000年の6月だった。前年秋のドラフト候補と言われながら、大学生にして27歳を迎えるという年齢がネックだったのか指名はなかった。そこで大学の監督から舞い込んだのが「台湾プロ野球はどうだ」という誘い。当時の台湾球界はプロが2つのリーグに分裂したところで、選手が不足していた。

 武藤さんは、大学生になる前に社会人野球の強豪・西濃運輸でプレーするという、通常とは逆のキャリアを歩んでいる。台湾行きを決めた当時を「社会人でも戦力外になってますからね……。大学でまたプロには行けなかった。27歳で野球を辞めることも考えていたんですけど、もう少しやってみようかな、というくらいの安易な気持ちで最初は行ったんです」と振り返る。

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