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「僕は競技場で生存を賭けていた」 皿洗いバイト、奨学金…出場を逃せば次はない「これも五輪のリアル」――陸上・末續慎吾

北京五輪のメダル獲得後に忘れられないシーンとは【写真:荒川祐史】
北京五輪のメダル獲得後に忘れられないシーンとは【写真:荒川祐史】

9年後に変わったメダルの色「素直に喜べませんよ」

 3着入線で手にした北京五輪の銅メダルは、金メダルを獲得したジャマイカチームの選手のドーピング問題によって、9年後の2017年に銀メダルへ繰り上げとなった。しばらく自分の物として扱っていた銅メダルを返還し、新たに銀メダルが手元に届く。実感が湧かないメダルの色を見て、末續は虚無感に近い感覚に苛まれた。

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「今は押し入れのどこかにしまっています。メダルの保管方法は人それぞれだと思いますが、僕にとっては途中で色が変わってしまうものでしかない。繰り上げは嬉しいのか、恥ずかしいのか、分からない。見たり触れたりする人が喜ぶのであれば、そうさせてあげたい。ただ自己完結の範囲で言うと、色が変わってしまったなとしか思えない。

 小学校の時に好きだった人がいて、30代になってから『実はあの時、好きだったの』と告白されてもね(苦笑)。それのもっと衝撃的な感覚で、約10年前にドーピングしていたから銀メダルに繰り上げになっても、素直に喜べませんよ。銅メダルの時は、例えば講演会に持っていくのを忘れることはなかった。でも銀メダルになってからは、どこに置いたのか忘れることがあります」

 五輪も、メダルも、価値は人によって千差万別だ。正解を1つに絞るのは難しい。

 忘れられないワンシーンが、メダル獲得のレース後にあった。

「日本チームが喜んでいるすぐ近くで、ウサイン・ボルトが胸に3つの金メダルをぶら下げて、ガッチャンガッチャンと音を立ててぶつかっているわけです。邪魔だな、くらいの雰囲気でね(苦笑)。それを見た時に、この人は金メダルをあまり貴重だと思っていないんだぁと感じました。簡単に獲れてしまう人にとっては、その程度の価値なわけです。

 五輪はアマチュアスポーツの祭典で現役選手が目指す1つの到達点だけど、その後の目標や目的が見えてくる大会でもある。メダルを獲ったからこそ言える次元の話ですが、そういった観点からすると自分は3大会もかかってしまったという感覚しかありません」

 走ることの意味や目的も考えずに、無我夢中でトラックを駆け抜けた。

 五輪もメダルも、彼にとってのゴールテープにはならなかった。

 それが日本陸上競技史に名を刻んだスプリンターの生き様だ。

(続く)

■末續 慎吾 / Shingo Suetsugu

 1980年6月2日生まれ、熊本県出身。九州学院高時代から全国にその名を轟かせると、東海大在学時の2000年シドニー大会で五輪初出場。03年6月の日本選手権男子200メートルで現在も破られていない20秒03の日本記録を叩き出すと、同年8月に開催された世界陸上パリ大会の同種目で3位となり、五輪・世界陸上を通じて日本短距離界初となるメダルを獲得した。3度目の五輪となった08年北京大会では、男子4×100メートルリレーで第2走者を務めて銀メダル獲得に貢献。15年にプロ転向。44歳となった現在も現役ランナーとして競技を続けており、100メートル10秒台をキープしている現役スプリンターでもある。18年に設立した「EAGLERUN」を通じて後進の育成やスポーツの普及に努めている。

(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)


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