ブルペン捕手からIT業界に転職 元DeNA選手が面接で評価された「捕手のマインド」
やりがいあるブルペンキャッチャーを辞めた理由「広い世界で活躍したい」
「自分は本来、プロになれる実力はない」
高校入学の頃から、松下さんは悟っていた。大学選びの基準も「就職に強く、英語が学べるところ」。一般的な学生と何ら変わりなかった。
関西外国語大の短期大学部に入学し、後に4年制へ編入した。野球部では主将を務めたが、1日の練習時間は2~4時間ほど。強豪校のように、指導者がつきっきりで指導する環境ではない。選手でメニューを考え、自主性を重んじるチームだった。
およそ3年半の間、マクドナルドで22時から深夜2時までアルバイトもしていたし、大学生らしい遊びに勉強も楽しんだ。過ごした時間の全てを野球に捧げていたわけではない。ただ、メリハリをつけ、自分で課題を見つけて練習する環境が松下さんには合っていた。
4年春には阪神学生野球リーグで打率.341をマークするなど急成長。プロ入りのきっかけは、後に広島に入団する西原圭大(現ニチダイ)とバッテリーを組んだこと。西原の視察に訪れたDeNAスカウトの目にたまたま留まり、育成で獲得を検討していることが伝えられた。
ただ、指名される保証はない。だからドラフト直前まで、就職活動に力を注いだ。当時異例のスピード上場を果たしていた、中古車販売などを手掛ける「ガリバー」から内定を得て、内定式にも参加している。
「合同説明会も行きましたし、当時は商社やMRに興味を持っていました。受けたのは全部で20~30社だと思います。プロ入りの場合も考えて、内定書には『ドラフトにかかった場合は、入団を優先する』との文言を付け足してもらいました」
結果的に指名を受け、内定は辞退。飛び込んだプロ野球界での日々は充実していたが、楽しかった思い出はほとんど残っていない。最初に圧倒されたのは、2月の春季キャンプだ。
「2日目くらいで感じたのですが、例えば(現DeNA監督の)三浦大輔さんはこの練習を10年以上やっている。化け物だと思いましたね。僕は公立高校出身で、大学でも1日中野球のことを考えることがなかった。環境の違いに一番驚きましたね」
野球漬けのハードな生活で、気付かぬうちに体に異変も出た。3月、大学の卒業式に備えて散髪に行くと、頭に1センチ四方の脱毛部分が2つ見つかった。円形脱毛症だった。
「グラウンドに行くまでに、嗚咽するような感覚になる時期もありました。技術的に劣っていたところがあって、追いつくのに苦労して。周りから見ると『何で出来ないの?』と思われるところもありましたから」
1軍出場は果たせなかったが、成長を求め続ける日々は充実していた。そんな現役生活に終止符を打ち、14年から裏方になった。人に喜んでもらうことが好きな性格。やりがいがあり、自分に合っている仕事だと思えた。ただ、さらに成長を感じられる場所に惹かれる気持ちもあった。「野球界に限らず広い世界で活躍していたい」。ふと40歳になった自分を想像した時、そう思った。
「20代後半なら、どの業界でもチャレンジして失敗できると思ったんです」
不動産業界に勤めていた小林太志氏らOBに話を聞く中で、ITとアスリートを組み合わせれば10年後も必要な人材になれるのではないかと、漠然と考えた。チームの予定がない日は転職サイトを眺めるようになり、セールスフォースに興味を持ったのは16年のことだった。
「会社の雰囲気、ビジョンはもちろん好きなんですけれど、経営者の方々と会話ができる仕事はなかなかないですし、彼らに対して提案できる。業種業態も関係なく、横にも縦にも奥にも広いと感じました」