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わずか3か月で6社内定 元ヤクルト“左キラー”の転職成功談「可能性決めつけないで」

転職エージェントは介さず自ら企業に応募

 久古さんは社会人野球の日本製紙石巻から、2010年ドラフト5位でヤクルトに入団した。左サイドから投じるキレのいい球を武器に、1年目は52試合に登板。セ・リーグの新人記録となる22 試合連続無失点を記録するなど活躍した。15年には球団14年ぶりのリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは、この年のMVPを獲得したソフトバンク・柳田悠岐を2打数2三振に抑えるなど“左キラー”ぶりを発揮。通算228試合のマウンドを経験した。

「リーグ優勝した時も印象は強いですけど、一番を挙げればルーキーイヤー。自分のパフォーマンスを最も発揮できたシーズンでした」。順調なスタートを切ったプロ生活。体に異変が起きたのは、16年春季キャンプの練習中だった。

 突然、全力疾走の比ではないほど、脈が速くなった。不整脈だった。数十秒から1分ほど、座って落ち着くのを待たなければならない。症状が出るのは1~2か月に1度ほど。それでも、いつ発症するか分からない恐怖と闘っていた。練習試合の登板直前に発症し、急遽登板を回避したこともある。

「試合中の不安もありますし、(原因が)心臓なので、どうしても追い込んで練習できない。『発作が出るんじゃないか』と不安がよぎり、追い込み切れなかったり。その出し切れないジレンマは影響として大きかったのかなと思います」

 初めて1軍登板ゼロに終わった2018年。「客観的に見て、戦力外になってもおかしくない」と、夏頃から第二の人生について考えるようになっていた。その時、たまたま手にしたビジネス書でコンサルタントという職業を知った。当時32歳。絶えず変わりゆく世の中で生き抜くための、汎用性のあるスキルを得られる仕事に興味を持った。

 10月に戦力外通告を受けた後は12球団の編成担当らの前で実力を披露するトライアウトを受験した。対戦形式のマウンドに上がった時、タイミング悪く不整脈の症状が出て、一度は降板しながらも打者3人と対戦を完遂。無安打に抑えたが、NPB球団から声はかからなかった。

 野球人生には区切りをつけ、気になっていたコンサル会社を目指すことにした。まずは転職エージェントに相談したが「僕みたいな経歴で、コンサルに行きたいという前例がない」。提案される業種は営業職が多かった。挑戦もせず、諦めたくはない。1年前に引退してコンサル会社に勤めていた青学大の先輩で、元西武の大崎雄太朗さんに助言を求めた。

 大崎さんはエージェントを介さず、自ら情報収集をして企業に応募していたという。久古さんの心に希望が沸いた。

「可能性が0%でなく、1%でもあるならトライしたい」

 個人で企業に応募する際、苦労したのは職務経歴書の作成。ネット検索しても、元プロ野球選手が作った経歴書など見つからない。参考にできるものが単純に少なかったからこそ、大崎さんの存在は大きかった。自身の経験が社会にどう活きるのかをブラッシュアップ。最終的には3段構成でまとめた納得できる経歴書ができ上がった。

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