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陸上で日本一、冬季五輪も出場 「勝てる場所で勝つ」競技転向で夢を叶えた男の思考

ボブスレーでソチ五輪に出場した佐藤氏、競技転向によって目標を叶えた【写真:Getty Images】
ボブスレーでソチ五輪に出場した佐藤氏、競技転向によって目標を叶えた【写真:Getty Images】

嫌いだった400m、日本一になった頃には…

 中3で日本一。見事に結果を残し、母に吉報を届けた。「実際に勝てる種目、自分にとって記録が伸びやすい種目。好きだからではなく、勝てる種目で狙って勝った」。最初は心の底から嫌いだった。でも、日本一までの過程で「好き」という感情が芽生えていた。

「技術的にいろいろなことを発見できました。動きを変えればつらさも変わってくるという面白さ。勝つことを徹底的に優先した結果、どうやったら楽に走れるのか研究し、自分で調べて実践したことが合致している。練習方法が合っていると知った時は楽しかったです。達成感を得ることや、恩師に良い報告ができることも非常に有意義だなと思いました」

 勝てる場所で勝った。勝てば好きがついてきたのだ。

 埼玉・松山高でも陸上を続け、早大に進学。花形の100メートルに憧れたが、全国から猛者が集まる名門では「枠が埋まっていた」と種目転向はかなわなかった。しかし、年齢を重ねるごとに体質が変わり、1999、2000年の日本選手権4×100メートルリレーで連覇に貢献。23歳で100メートルに本格転向した。

「年を経るごとに筋力が強くなって体重が増えた場合、種目の適正が変わることがあるんです。自分はずっと400メートル選手だと思っていた人が、どこかで100メートルに転じてみたら大成する。こういうことはよくあるんですよ」

 佐藤氏が例に出したのは、男子100メートルの元日本記録保持者・伊東浩司氏。高校時代は400メートルで活躍し、のちに100メートルで10秒00をマークした。自身も体の変化に合わせて転向し、24歳の埼玉国体成年男子100メートルで優勝した。

 中学から貫いてきたのは「結果が全て」という姿勢。常に上を目指す中、やはり五輪には出たかった。30歳を超え、キャリアの終盤に舞い込んできた話がボブスレーのトライアウト開催。日本代表になれるチャンスだった。「五輪に行かないまま競技を終えていいのか。後でどう言い訳しても区切るのは自分」。今度は走る場所を雪上に移した。

 トライアウト合格で五輪への道が開けた。海外の大会で結果を残し、ソチ五輪に出場(26位)。競技転向によって目標を叶えたのだ。

 駅伝から400メートル、100メートル、そしてボブスレー。決して諦めて道を変えたわけではない。活躍を諦めず種目を渡り歩き、人生を充実させてきた。だからこそ、今の学生にも「勝てる場所で勝つ」ことを勧める。中には想定外の種目を提案されて戸惑う選手もいるという。

「陸上競技は種目数が多く、それぞれ適正が違います。自分に合っていない種目を選択している子もたまにいるんです。少しトランスファーさせるだけでうまくいくことはよくあるので、頭を柔軟にして種目を選ぶのが大事だと思います」

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