Jリーガーから“サラリーマン選手”へ プロ歴17年の小林祐三がアマ転向を決めたワケ
第2の人生として選んだサラリーマンとアマチュア選手
新たに所属するクリアソン新宿は火曜日、水曜日、木曜日の業務終了後、19時から21時までが練習と決まっている。休日は土曜日を練習日として、主に日曜日が試合だ。そのため月曜日と金曜日はボールに触れることなく1日が終わる。自前のグラウンドやクラブハウスがあるわけではない。区内にある人工芝のグラウンドを時間単位で使用している。語弊を恐れず言えば、環境や設備はアマチュアのそれで、これから未来へ向けて発展していくサッカークラブだ。
しかし小林に戸惑いの色は全くない。すべては承知の上で選んだ道である。サラリーマンとして業務を行いながらサッカーボールを蹴る日々は「めちゃくちゃ楽しい。ここ数年では断トツに楽しい」と目をキラキラ輝かせた。
「Jリーグの、特にJ1という最も高いディビジョンでプレーし続けることには価値があるし、それを否定するつもりはありません。僕自身、高みを目指していく過程でまるで化け物みたいな外国籍選手と対峙し、自分を成長させることができたと思っています。ただ今は違った角度からの成長や追求もあるのかなと。
例えば、出し手と受け手の関係性の中で、プロの世界で通っていたパスが通らない。そうなった時に、どうしたらパスを通せるようになるのか。あるいは守備でのコーチングも、どういった声かけやフォローをすれば仲間を効果的に動かし、チームを優位な状況に導けるのか。すべて考えて、アプローチを変える必要があるんです。そのためには新たな環境で自分が成長し、追求しなければいけません」
それにしても日本サッカーの第一線でしのぎを削ってきた男である。カテゴリーを下げることで物足りなさを覚えてしまうのではないか。そんな危惧も独特の言い回しで一蹴する。「いずれそういった波がやってくると思っていますし、それはある程度視野に入れています。そうなってしまう自分も許容しながらも、その後に何ができるかというサイクルに入っていくことが大切です」と明確に見据えていた。
サッカーは業務の一環で、報酬はない。あくまでもサラリーマンとして給料を受け取っていく生活が始まった。若くして成功を収めたプロアスリートならば、収入だけを比べた時に同年代で一般企業に勤める人間よりも上だろう。分かりやすい評価のものさしで、夢と可能性を示す意味でも相応のサラリーを受け取るべきという考え方もある。
生きていくうえで、もしくは家族を養っていくために、お金は必要だ。誰もが抱えていく永遠のテーマについても独自の見解を示す。
「40歳までを考えたら、もしかしたらサッカー選手のほうがサラリーは多いかもしれません。僕は5年くらい先の未来を考えて、今だから得られるストックがあると思っているし、それは無形資産と言えばいいのかな。サッカー選手は逃げ切り思考が強いと感じていて『いつまでにいくら貯めていたほうがいい』みたいな発想を持ちがちなんです。でもプロの世界を退いてからも僕はすごく楽しいので、もしかしたら引退するのが遅いくらいだったかなと(笑)」
新鮮な毎日にドキドキワクワクが止まらない。その空気感を一切隠そうとはせずに、むしろ発信している。