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家焼失、故障、親の反対… 川口能活は人生の岐路で何を貫き、決断してきたのか

本当は「体育の先生」になりたかった…大学ではなくJリーグを選んだ理由

 川口が高校に入学した91年に日本プロサッカーリーグが発足し、93年にはJリーグ開幕。日本のプロスポーツのエポックとして、一大ブームを巻き起こした。一方、誕生したばかりのリーグだけに、先行きもまったく読めない。当時は高校で名を馳せた選手たちの大学進学率も高く、川口自身も「すごく悩んでいた」という。

「清商は大学への推薦の実績も多く、いい大学の道もいくつかありました。プロリーグといっても、将来、どうなるかわからない。中学時代から体育の先生になることを考えていたので、当初は教員免許をとるために大学進学を希望していたんです」

 ところが、高校2年のときに気持ちが一変する。川口は異例の“飛び級”でワールドユースアジア予選のメンバーに選出。当時、レギュラーだったGKがケガで戦列を離れたため、1次予選からレギュラーとしてゴールを守った。

「残念ながらワールドユース出場は逃しましたが、プロや大学生の有名な選手たちとともに世界を目指して戦ったことが自信になりました。“すぐにレギュラーを獲れなくてもいい。厳しい環境のなかで切磋琢磨し、さらに上を目指したい”。あのとき試合に出ていなかったら、プロに行きたいという気持ちはきっと生まれなかった。僕にとってそれほど、とてつもなく大きな衝撃だったんです」

 しかし、恩師や両親は川口の決断に諸手を挙げて賛成、とはいかなかった。

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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