負けた時に笑える人間になれ 世界を熱狂させるBMXのカリスマ・内野洋平という生き方
「スポーツ=部活」を変えた偶然の出会い、虜になった「言い訳ができない道」
「そもそもの情報が間違っていて、スケボーじゃなくBMXだった。でも、せっかくだからと観ていたら、衝撃的で。スケボーを観に行ったということを忘れるくらいにカッコ良かった。自転車が自由に操られて、しかも、好きなファッションでやっている。シューズ、ズボン、Tシャツ……。全部、カッコ良くて輝いていた。『これ、やろう』って、みんな一目ぼれしちゃったんです」
偶然によってもたらされたBMXとの出会い。しかし、それが“スポーツといえば部活”しか知らなかった17歳の人生を変えた。
すぐさま、腹を決めたが、競技用の自転車は7万円する代物。最初に買った1台をみんなで乗り回し、お年玉、小遣いを貯めて購入し、汗を流した。ただ、部活は誰一人辞めず、部活は部活として打ち込んだ。「それは逃げになってしまうから」が理由だ。
「競技という捉え方をしていなかったし、部活が終わって帰ってヘトヘトになった体で練習する。音楽を聴いたり、遊びに行ったり、高校生が好きなことをやるのと一緒でBMXをやる。そんな高校生活でした」。幼少期にはモーグルで活躍し、兵庫圏内で指折りの実力者。なぜ、他競技でも才能を秘めながら、小さな自転車に青春を捧げたのか。
「水泳もモーグルも言い訳がつくような部分があった。水泳は体の成長が止まってタイムが伸びなかったり、モーグルは長野や北海道で生まれ育った子たちが持つ雪との相性に勝てる気がしなかったり。でも、BMXは言い訳ができない競技だなって。世界中、コンクリートさえあれば、どこでもできる。寒い、雪がない、成長が止まるとか、一切関係ないから」
そういう決意があったから、将来も自然と「言い訳ができない道」に傾いた。将来は水泳のコーチなど、体を動かす仕事がしたいと考えていた。だが、その思いはBMXが上回った。高校卒業後は自転車一本に絞った。当時は大会で世界1位になって賞金5万円程度。それでも、惹かれたのは「言い訳ができない道」は「道なき道」でもあったからだ。
「5万円がどうとかじゃなく、世界一になってみたいというのが強かった。お金なんて二の次。それよりも、言い訳して諦めてきたスポーツの中で、これは言い訳できないから『何かで世界一になってみろや、自分』っていう思いがあった。世界一になりたいという気持ちだけはあったんです」
すると、秘められたポテンシャルが開花する。22歳で史上最年少で日本選手権を制し、史上最年少王者に輝いた。