「僕はきっと『トゥーリオ』のままだった」 闘莉王の人生を変えたプロ3年目の選択
闘莉王が伝えたい家族の大切さ「年を取る前に『ありがとう』と言える仲になって」
自分の心を信じる。言うは易しだが、やるのは難しい。「そこはリスクがあるからね」と闘莉王も言う。一方で「失敗したら、全責任を負わなければならないこともあるけど、自分が失敗した分くらいは取り返せると思う。失敗を恐れないで、正しい道を進んでいく上で、自分のやりたいことを中心に考えないと、人生は1回だけなので後悔する」と言い、自身の体験からも訴える。
「こういう変わったプレーヤーになったのも自分の心を信じてきたから。多少は戦術として『お前はこれはやっちゃいけないよ』と言われる中で『結果で示せれば、この人も納得してくれるんだな』と思ったところもある。それはサッカーに限らず、どこを目指したいかという強い意志を持ってほしい。自分はサッカーでも引退したら、仕事もしたくないっていう目標を持っていた。
そのためにサッカーで稼いだお金については無駄にせずにちゃんと貯めてきたというのもある。周りがいい車を買ったり、いろいろなことをした中で、自分は我慢してきたと思う。あまり周りに流されないのかな。そういうのが38年間、変わってないと思うし、これからも変わらないだろうし。失敗はたくさんすると思うけど、それも恐れてない。それが生きがいと思っているので」
話を聞いていて思うのは、家族との関係性の深さだ。実際、38歳となって日本にいる間も毎日のように電話し、コミュニケーションを図っていたという。しかし、日々、部活やスポーツに励んでいる青少年は「いるのが当たり前」の存在の親から食事に送り迎え、経済面も含め、サポートしてもらっているというありがたみを感じられる機会は少ない。だからこそ、闘莉王は思う。
「自分は離れているからこそ、すごく両親の大切さはわかるし、近くにいないことの辛さも実感した。もしかしたら、みんなずっと近くに両親がいるから慣れてしまって、その大切さや自分に対する愛を感じないのかな。これだけ、離れていたからこそ、深い関係になれたのかなと。常に相談し、話し合える。でも、そのありがたみを理解するだけで、選手としても全然違ってくる。
最初は反抗期もあるだろうけど、年を取るほど両親の大切さ、愛の深さは感じるもの。自分はお父さんがとても厳しかったので、それがどれだけ自分にとって大切で、どれだけ強くさせてくれたかはすごく感じる。近くにいたら難しいかもしれないけど、どれだけ愛をくれているか感じることは本当に大切。できれば、年を取る前に『ありがとう』と言える仲になってほしいなと思う」
自身のキャリアを振り返り、熱く語ってくれた闘莉王。日本のスポーツ界では、地区大会の1勝を目指す子供もいれば、W杯出場を夢見る逸材も数多くいる。最後に、そんな後輩たちにこれから進路選択していく上で、伝えたいメッセージをお願いした。
「やっぱり、どこに行きたいかというきちんとした目標を持つことじゃないかな。そこまで辿り着くにはいろんな困難があるし、いろんな問題が起きる。時にはスピードを落としてゆっくりしなきゃいけない時期もあれば、逆にもっとスピードを上げて物事を進ませなければいけない時期もある。そんな中で、自分がどこに行きたいかということだけは常に持たないといけないと思う」
闘莉王の「どこに行きたいか」は言い換えれば、自分が目指すべきゴール。目の前でどんなことが起きても、その先にあるものをずっと見続けられれば、道は開ける――。15歳で日本にやって来て、人生を変えたブラジル生まれの侍は、そう信じている。
(文中敬称略)
田中マルクス闘莉王 1981年4月24日、ブラジル・サンパウロ州生まれ。1998年に渋谷教育学園幕張高に留学するために来日。2001年にJ1広島でプロデビュー。浦和、名古屋でチーム初のリーグ優勝に貢献し、06年にJリーグMVPに輝く。03年に日本国籍を取得し、04年アテネ五輪に出場。10年W杯南アフリカ大会では日本代表の16強進出に貢献。2019年シーズンを最後に現役引退。Jリーグ通算529試合104得点。DF登録選手の100得点はリーグ史上初。代表通算43試合8得点。現在、ブラジルで起業家として活躍中。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)